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短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第8回 大辻隆弘『アララギの脊梁』

 アララギはやっぱりおもしろい 堂園昌彦
アララギの脊梁 (青磁社評論シリーズ 2)

アララギの脊梁 (青磁社評論シリーズ 2)

 

  面白い! 面白い! 面白い!

 いま一番おもしろい短歌評論の本を出しているのは、間違いなく大辻隆弘だろう。大辻さんの評論の本はどれも面白くて、なんか短歌の評論読みたいなー、短歌のことをいろいろぐるぐる考えてえー、という人にはマストだと思う。なんというか、テンションの上がる面白さなのだ。

 この本は、大辻さんの短めの評論を集めた本で、2009年に青磁社から刊行されている。『アララギの脊梁』とあるように、内容は主にアララギ歌人たちについてだ。

 まず、一番初めに載っている評論。タイトルは「人称の錯綜」。内容は、釈迢空の歌について。迢空の歌はかなりヘンで、そのヘンさの中身を取り扱っている(大辻さんは「ヘン」とは言ってないけど)。さて、どうヘンか。

勝ちがたきいくさにはてし人々の心をぞ 思ふ。たゝかひを終ふ  釈迢空

 終戦のときの歌。「終ふ」がヘンだ。「戦争を終わらせる」と言っているわけだが、戦争行為を終わらせることができるのは、迢空ではなく天皇である。「~思ふ。」までは迢空の一人称だったのに、「たゝかひを終ふ」で急に昭和天皇に同化している。主体がよくわからなくなる。ヘンだ。

草あぢさゐの 花過ぎ方のくさむらに向きゐる我が目 昏(クラ)くなりゆく 釈迢空

 この歌も、歌の始まりでは紫陽花を見ていたはずなのに(一人称)、途中から「我が目 昏くなりゆく」と視線は釈迢空の身体から出て、自分の眼球を外側から見ている(三人称)。これもヘンだ。大辻さんは、迢空の歌にはこのような「一人称の発語のなかに、三人称的な客観描写がなんの抵抗もなく、融通無碍に入りこんでくる」「人称の錯綜」があると述べる。

近代のリアリズムは、固定した一点から見られた情景を写すことによって成立している。一つの情景を異なった複数の視点から描きだすというキュビズム絵画のような描写は、基本的には「反則」なのだ。迢空の歌は、あきらかにその禁則に触れている。(p.10)

 固定化された一視点が近代短歌の基本だ。それなのに、迢空の歌では、その基本があっさりと捨てられている。たしかに反則だ。

 しかし、なんでこんなことが起きるのか。大辻さんは迢空が民俗学者折口信夫として研究していた古代歌謡に注目する。

 折口自身が指摘していることだが、古代歌謡では人称がわからなくなってしまうことが多い。三人称的に客観的に始まった歌謡が、語り部(巫女)の一人称になったり、そうかと思ったら神様の一人称になったりする。人称が途中でころころ変わってしまうのだ。これは、語り部である巫女が、次第にトランス状態になって、個人が語っている状態から、共同体の言語である「神の独り言」を話す状態に移っていく過程をあらわしている。

 それを踏まえて、迢空の「古い歌を口ずさんでゐると、神憑りでもした気になる」という言葉を引きながら、大辻さんはこう結論する。

釈迢空の歌における「人称の錯綜」。それは、迢空にとって必然的なものであった。迢空は、歌うことによって共同体の物語のなかに、ちっぽけな個人としての自己を放擲しようとした。(p.17)

 おおお、なるほど、面白い。近代短歌は基本的に「個人の物語」を語る詩形だが、迢空はそこに共同体の記憶を導入しようとして、このような技法を使っているわけですね。おもしろい。

 また、同じ迢空論で「呪われたみやこびと」も興味深い。この論は、「アララギ」誌上で迢空と茂吉との間で起きた論争を題材にしている。

 きっかけはこうだ。迢空は大正七年「アララギ」に全百首の大連作を発表した。こんな感じの連作だ。

お久米が子二階に来ればだまつてゐるこはきをぢにて三とせ住みたり  釈迢空

わが弟子とお久米が針子かどに逢ふ出あひがしらの顔いかならむ

わが怒りに会ひてしをるゝ一雄の顔見てゐられねば使ひに起(タゝ)

 特徴は、〈人事を〉〈口語で〉〈叙事的に〉詠んだこと。これは〈自然を〉〈文語で〉〈抒情的に〉詠むことが主流であったアララギでは、当然、すごく異質に映った。発表直後、斎藤茂吉から速攻で批判が来る。

このような口語を用いた人事詠が、すでに『あらたま』の粛々とした境地を完成していた茂吉に受け入れられなかったのは当然かもしれない。彼は「釈迢空に与ふ」(「アララギ」大7・5)という文章を書き、迢空の作品の「口語的発想」を厳しく批判する。迢空の歌のなかにあるのは、アララギが理想としている「万葉びとの語気」ではなく「阿房陀羅リズム」に近い軽薄な調べにすぎない、という茂吉の批判は非常に辛辣なものであった。(p.33)

 「阿房陀羅リズム」ってひどい。まあ要するに全然認められない、と言われたわけだ。こんなの我々の理想とする万葉調とまったく違うじゃないか、どうしちゃったの迢空、ということだ。

 しかし、迢空も黙っていない。すぐさま反論をする。そこで書かれた文章がこの論考の中心になる文章だ。

あなた方は力の芸術家として、田舎に育たれた事が非常な祝福だ、といはねばなりません。この点に於てわたしは非常に不幸です。軽く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪はれてゐるのです。(略)万葉は家持期のものですらも、確かに、野の声らしい叫びを持つてゐます。その万葉ぶりの力の芸術を、都会人が望むのは、最初から苦しみなのであります。

                   釈迢空「茂吉への返事」

 言葉はおだやかながらも、迢空もけっこうキツイことを言っている。 あなたたちアララギの同人たちは、「田舎」に育った人間で、万葉集の「野の声らしい叫び」に親和性を持っている。それに比べて私・迢空は都会に育った弱い「みやこびと」であり、はなから万葉っぽくなるのは無理だ、と。

 さらに興味深いのは、迢空が「みやこびと」としての苦しさを、日本の近代の問題と結び付けていることだ。

日本では真の意味の都会生活が初つて、まだ幾代も経てゐません。都会独自の習慣・信仰・文明を見ることが出来ない、といふことは、かなりた易く、断言が出来ます。そこに根ざしの深い都会的文芸の、出来よう訳がありません。日本人ももつと、都会生活に慣れて来たなら、郷士(強度の訳語を創めた郷土研究派の用語例に拠る)芸術に拮抗することの出来る、文芸も生まれることになるでせう。(略)都会人なるわたしどもはかういふ方向に、力の芸術を掴まねばならない、という気がします。

                         釈迢空「同」

 他の部分も含めながら迢空の言いたいことをまとめると次のようになる。

 この時期、日本は近代化して、だんだんと都市化していっている。そのなかで「自然に還れ、万葉に戻れ」と言っても、それは欺瞞じゃないか。私たちはなんとかして都市のなかの新しい生活を詠っていかなければいけないんじゃないか。そのためには、叙事的なことを詠うことのできない従来の短歌形式では難しいのではないか。

 うーん、たしかに。大辻さんは「歌の円寂する時」という迢空の有名な短歌滅亡論の背後には、このような認識があったのではないか、と指摘している。鋭い批判であり、また、現代においてもこの矛盾はまだ継続していると見てよいんじゃないだろうか。短歌に叙事が適さないことは、短歌において社会詠が難しいことともおそらく通じているよなあ、とか、短歌を抒情詩から叙事詩にするために迢空は口語の試行を繰り返したわけだけれど、それは結局歴史の中で定着しなかったんだよな、とかそんなことを私は思ったりした。

 こんな感じで、大辻さんの論は、問題提起→論理説明、がスパン! スパン! と次々決まっていくので、すごく快感だ。しかもその結論は、単なる短歌の歴史上の出来事ではなくて、現代のわれわれの作品を考える上でも大切なトピックばかりなのだ。

  短歌の言語に共同体の記憶を入れるには、とか、短歌で都市を詠むにはどうすればいいのだろう、などは現代の短歌でも気になるところですよね。そんな感じで、単に古典の研究ではなく、アクチュアルな短歌の問題に接続する視線があるのが、大辻さんの論の特徴だと思う。

 さて、この本の一番面白いところに行こう。アララギにおける「写生」の問題。まず、大辻さんは短歌で「写生」と一番初めに言い出した正岡子規の考えをこう説明する。

子規の写生の理念は、外界の描写を通じて作者の内面を描きだすという逆説的な構造をもった文学理念であった。(p.70)

 子規の考えは非常にシンプルである。見ている物だけを丁寧に描写すれば、それを見ているはずの作者の視点の位置や心情はおのずと伝わるでしょう、ということだ。「主観とは何か?」とか「客観とは何か?」とか「目の前の物を把握するときの主観の働きは?」とかいったややこしい話はない。別のところでの大辻さんの説明はこうだ。

この用語(注:「写生」のこと)をはじめて文学用語として用いたのはいうまでもなく正岡子規である。「実際の有のまゝを写すを仮に写実といふ。写生は画家の語を借りたるなり」(叙事文 明33)と回想しているように、彼はこの「写生」という用語を、当初は西洋画の「スケッチ」の訳語として用いていた。「客観」とか「主観」とかいったこざかしい認識論的な概念規定に深入りさえしなければ、子規のいう「写生」は「スケッチ」という用語と同じく、「眼の前に存在しているものをそのまま描きだそうとする方法である」とごく素朴に考えておいてよい。(p.118)

 ふんふん、なるほど。絵画をスケッチするように、外界を描写すれば、作者の内面が読者に伝わるということのようだ。

 もう少し詳しい説明は、こんな感じだ。

 私はかつて『子規への遡行』(平8)のなかで「歌よみに与ふる書」(明31)を中心に、子規の写生の理念の意味を考察したことがある。そこで私は、子規の写生とは、強い映像喚起力を持った名詞を多用することによって、和歌の文体のなかから過剰な助辞「てにをは」を排そうとする試みであった、ということを指摘した。明晰な映像喚起力をもった名詞中心の文体の確立によって、一首のなかで叙述された情景は、固定的な視点から見られた視覚像という意味を担わされてゆく。写生とは「視点としての私」と「遠近法的な外界の秩序」を同時に成立させるような認識論的な枠組みの転換であった。(p.69)

 「強い映像喚起力を持った名詞を多用」、そして「過剰な助辞『てにをは』を排そうとする」あたりがポイントのようだ。助辞「てにをは」を排するのは、それがその言葉を使う作者の心情をあらわすからである。子規はあくまで、主観を交えない客観描写のみを推奨した。主観を交えない客観描写をして初めて「固定的な視点から見られた視覚像」が得られる。それこそが作者の心情をあらわすことになるのだ。

 具体例がないとわかりにくいので、歌を挙げてみよう。

ともし火の光に照す窓の外の牡丹(ぼたん)にそそぐ春の夜の雨  正岡子規

 この歌では丁寧な描写によって子規がガラス戸を通して庭を見ていることがわかるし、主観語がないにも関わらず、それを見ている子規の静謐な感情が伝わる。このような表現の方法が子規の「写生」だ。

 ポイントは、先ほども述べたが、歌の中では主観的な判断を行う語を入れないことだ。このブログの第6回で土岐さんが『仰臥漫録』を取り上げていて、子規が芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」の句の「あつめて」が「理窟」である、というところを書いていた。客観で見れば、雨は単に川に注ぎ込んでいるだけだ。それを川が「あつめて」いると捉えるのは主観だ。「理窟」は主観だからダメなのだ。

 だから、子規は蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」のほうを褒めた。こっちは価値判断が入っておらず、ただ客観的に描写をしているだけだから。

karonyomu.hatenablog.com

 この「名詞中心」と「助辞排除(=主観排除)」の2点は、実は「歌よみに与ふる書」で初めて出てきたものではない。子規は短歌革新の前に俳句の革新を行っている。この二つの理念は、どうやら、俳句を革新する際に考え出されたものであるらしい。

句調のたるむこと一概には言ひ尽されねど普通に分かりたる例を挙ぐれば虚字の多きものはたるみ易く名詞の多き者はしまり易し虚字とは第一に「てには」なり第二に「副詞」なり第三に「動詞」なり故にたるみを少くせんと思はヾ成るべく「てには」を減ずるを要す

                正岡子規俳諧大要」(明28)

印象明瞭とは其句を誦する者をして眼前に実物実景を観るが如く感ぜしむるを謂ふ。故に其人を感ぜしむる処恰も写生的絵画の小幅を見ると略々同じ。同じく十七八字の俳句なり而して特に其印象ならしめんとせば其詠ずる事物は純客観にして且つ客観中小景を択ばざるべからず。

                正岡子規「明治二十九年の俳句界」(明30) 

 たしかに、俳句でも同じことを言っている。大辻さんはこう説明する。

このように考えてくると、子規の写生の理念は、俳句革新の理念の援用であったことが明らかになる。同一の理念で括られる以上、短歌と俳句の違いは形式的・外面的な違いに過ぎないということになろう。「されば歌は俳句の長き者、俳句は歌の短き者なりと謂ふて何の支障も見ず歌と俳句は只詩型を異にするのみ」(人々に答ふ 明31)といった子規の歌俳同一視は、その意味で当然のことであった。子規の「短歌革新」とは、つまるところ「和歌の俳句化」だったのである。(p.72)

 「子規の「短歌革新」とは、つまるところ「和歌の俳句化」だったのである」! なるほど、これはびっくりだ。もしかすると、「主観を交えない」というところも、俳句から発想されたものなのかもしれない。

 ちょっと話を戻すと、とりあえず、子規の考えた「写生」というものはシンプルに「主観を交えずに外界を客観的に描写することが、作者の視点と心情をあらわす」と捉えてよさそうだ。

 しかし、その後、子規の唱えたこの素朴な「写生」は変容していく。子規の死の3年後に発表された、弟子の伊藤左千夫の「写生」に対する考えを、大辻さんはこう説明する。

  このような左千夫の指摘は、俳句と短歌の詩型の差異をとらえたものとして興味ぶかい。俳句は、切れ字によって二物を衝突させることによって成立している詩型である。俳句は二つの「純客観」をそのまま衝突させる。したがって、「純客観」をそのままの形で写し取ろうとする「写生」の理念は、こと俳句においては、きわめて有効な作句理念となり得る。

 が、短歌にあっては事情はそう簡単ではない。短歌は、基本的には二物を衝突させる詩型ではなく、情景と心情をなめらかに接続する詩型である。したがって、短歌においては、子規の「写生」の理念はそのままでは有効に機能しない。そこには、複数の「純客観」を統辞によって関連づけ、種々の事物の印象を統括する「主観」の働きがどうしても必要となる。左千夫はそう考えていた。(p.121)

 つまり、短歌に俳句の方法は合わないんじゃないの、ということだ。子規の唱える「純客観」は俳句では機能するが、短歌では機能しない。それゆえ、左千夫は、「純客観」を「主観」でつなぐことが大切だという。子規の死後3年で、もう「主観を交えない」というルールはなくなってしまった。

 そして、左千夫よりも下の世代である島木赤彦は、この考えをさらに発展させる。『歌道小見』の中で赤彦はこう述べている。

私どもの心は、多く、具体的事象との接触によつて感動を起します。感動の対象となつて心に触れ来る事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。左様な接触の状態をそのまゝに歌に現すことは、同時に感動の状態をそのまゝに歌に現すことにもなるのでありました、この表現の道を写生と呼んで居ります。

                      島木赤彦「写生」(『歌道小見』)

 今度は「感動」が出てきた。「感動」とは何か。大辻さんの説明はこうだ。

 「具体的事象との接触によって」生じる「感動」。それは、「客観」と「主観」が触れ合ったその瞬間の心のありようだ、といってもよいだろう。ここで赤彦は、もはや「純客観」と「主観」という素朴な二項対立の図式に立って物事を考えようとはしていない。彼はここで、客観と主観に分化する以前の心的な現象に注目し、その主ー客未分化の現象を「感動」と呼んでいるのである。(p.123)

 短歌では、「客観」と「主観」が触れ合う「感動」を表現するべきだという。事物だけを描写するだけでもなく、かといって主観だけを言ってもだめだ。ふたつの触れ合う状態を沈潜した語で表現するのが赤彦にとっての「写生」なのだ。

 なので、赤彦は、悲しいときに「悲し」とか嬉しいときに「嬉し」と書くような、直接的な「主観的言語」を極端に嫌う。

感情語(=主観的言語)は、そのつどそのつど湧き上がる個々の感情のこまやかな違いを捨象した結果生まれてきた抽象語である。したがって、「いま」「ここで」自分の内に起っている一回かぎりの感動は、概念的な感情語で言い表すことはできない。(中略)赤彦もまた感動の一回性を歌のなかにどのように定着させればよいかということに執拗にこだわっていたのである。(p.124)

 と、大辻さんは説明している。実際、赤彦は北原白秋が「寂し」とか直接的な主観語を使うことを批判し、白秋と論争になっている(余談だが近代詩史をテーマにした漫画『月に吠えらんねえ』3巻P.274で白さんが「島木のレッドは」「あいつとは紛うことなく仲が悪い」と言っているのは、おそらくこのへんの論争を基にしている)。

 今でも短歌のセオリーとして「嬉しい」とか「悲しい」とか直接言わずに表現せよ、とかあったりするが、その源はここらへんだったんですね。

 で、そのような主張に基づいた赤彦の歌はこんな感じになる。

石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな  島木赤彦『柹蔭集』

 「しまらく」という副詞で時間経過をあらわし、「ける」「かな」という詠嘆の助動詞で主体の感情をあらわす。そうすると、この歌の背後に山々を見ている人間と時間の流れとその人間の微妙な感情が感じられる、という仕組みだ。

これらの歌は、叙景歌でありながら、そのような赤彦の感情のこまやかな振動を私たちに伝えてくれる。それは、ひとえに副詞や助詞・助動詞という「辞」(時枝誠記)の働きによっている、といっても過言ではないだろう。赤彦自身が「写生」の歌の理想像とした「感動」の表現は、これらの晩年の歌の細やかな「辞」のなかで達成されている。

 あからさまな感情語による声高な自己主張ではなく、それ自体は指示性を持たない「辞」によって、こまやかな「主観」の働きを表現してゆく。自体明晰な指示性を持つ「言」(自立語)ではなく、副詞・助詞・助動詞といった付属語によって、一首の叙景の背後にある主体をあぶりだしてゆく。赤彦が理想としたのは、描きだされた「客観」の背後に、かすかに、しかし確かに生動している「主観」のありようであった。(p.127)

 子規が考えたシンプルな「写生」はアララギが発展していく中でこのように変化していった。

 ただ、こうした写生の変化には子規本人も気づいていた節があって、その点も大辻さんは指摘している。「歌よみに与ふる書」の後に書かれた子規の文章には、俳句と違って短歌は時間の描写に適した詩型である、といった箇所がある。そして、子規晩年の歌は、「歌よみに与ふる書」で排したはずの助辞によって、複雑な時間の流れを表現している。大辻さんはこう述べている。

最晩年の子規は、かつて彼が提唱した写生の理念を、実作の上で超克していった。(中略)写生を提唱しながら、その限界に逢着した子規の生涯は、そのまま近代短歌百年の問題地平を先取りしていた、といってよい(p.75)

 「写生」の理念を洗練させていくことが、アララギ発展の歴史に通じるわけだが、それが子規という祖になったひとりの人間の中でも進んでいた、という説は、なかなかロマンティックでテンションが上がる。「写生」、おもしろい。

 最後に、「写生」のその後を大辻さんはこう述べる。

 写実は、なぜ、かくも衰えてしまったのか。

 この問いに対する答えは、はっきりしている。それは、近代短歌における写実や写生の理念を支えてきた「辞」の力が、二十世紀の後半の五十年間を通じて急速に衰えたからである。(中略)

 が、そればかりではない。むしろ、短歌自身が、みずから進んで「辞」の遺産を蕩尽してしまった、という側面もある。

 「アララギ」の写生歌に対する反発から生まれた塚本邦雄の短歌は、ごくおおざっぱにいえば、一首の中にある「辞」の過剰な機能を抑止し、自立語の衝撃力をむき出しにしようとしたものであった。したがって、前衛短歌のなかに現れる情景は、一つの主体から見られたものでなく、まるでキュビズムの絵画のように複数の視点が一首のなかに共存することになる。そのような「辞の断絶」(菱川善夫)のなかで、「調べ」による連続感や、統辞による統一感は、近代短歌の「負の遺産」として意識されていく。「辞」の精緻な使用によって一首の背後に存在していた統一的な継時的に生動する主体の影は、前衛短歌のなかではあっさりと抹消されてしまったのである。(p.128,129)

 このあたりの話は、「写生を超えて」「島木赤彦の写生論」「静寂感の位相」という3つくらいの章を私が無理やりまとめたものなので、詳しくはそれぞれの原文に当たって欲しいが、おおまかな流れはこんなところだと思う。

 ちなみに、この「辞」の問題が永井祐や斉藤斎藤といった現代の口語短歌ではどうなっていくかは、次作の『近代短歌の範型』(2015・六花書林)で論じられている。そちらも面白いです。

 「写生」、どうですか。このブログの第1回『茂吉覚書ー評論を読む』でもありましたが、めちゃくちゃ面白いトピックですよね。やっぱり。

karonyomu.hatenablog.com

 

 最後におまけでもういっこだけ。「子規万葉の継承」という論。会津八一の話。この論の要旨は、子規から始まり、左千夫・茂吉・赤彦・中村憲吉・土屋文明といったアララギ主流の師系の中でだんだんと取捨選択され、捨てられていった万葉集の雑多で多様な文体が、会津八一の歌の中には保存されているのではないか、ということだが、これも大変おもしろかった。

 そういえば、『茂吉覚書―評論を読む』のなかでも、佐藤通雅さんは

 だが、『万葉集』を隈なく読んだ私の印象をいうなら、この書は、相当に雑多な歌集だということだ。(中略)参考書的に三歌集の特徴をあげるならば、『万葉集』は重厚な調べ、具体的、写実的、現実的。『古今集』は優美、流麗で理知的。『新古今集』は唯美的、浪漫的、芸術至上主義的。しかし、特に『万葉集』には、そんな括り方の不可能な未分化性がある。(p.48)

 と言っていた。アララギが拡大していくにつれて、『万葉集』の中から自分たちにとって重要なところだけを恣意的に選択・宣伝してきた、ということだ。もちろんそれは、文体の洗練といった観点からも必要なことだったので、簡単に断罪できないことだが、アララギが主張している『万葉集』というものはかなりフィクショナルであり、作られたものなのだということは注意しておいてもいいかもしれない。で、会津八一の文体にそうしてアララギが振り捨てていった万葉集の文体が残されている、というのは刺激的な発見だと思う。

 こうしたアララギの話なんかを読んでいると、今現在支配的な価値観は、ずっと昔からあるわけではなくて、実はその時々に誰かが必死こいて考え出したことだとわかってくる。だからまあ神格化することもないのだけれども、同時に、その考えにはいちいち理由があってそうしているわけだから、単に古いからダメ、と言うのもナイーブだ。時代が進んで古くなってしまった技法と、それに付随するイデオロギーを批判するには、やっぱりその考え出されたときの理由を衝くのが一番いいのかな、なんてことを思ったりした。

 大辻さんの本に戻ると、大辻さんの評論が面白いのは、とにかく構造図を見せてくれるからだと思う。短歌の評論は往々にして、「この歌はこんなふうに素晴らしい」とか「この歌はこんなにダメだ」といった、主に価値判断を伝えるものが多い。もちろん、それはそれでかまわないけれど、残念ながら私はそういったタイプの評論にはほとんど興味が湧かない。それよりも、その歌に働いている力学だったりとか、背後の価値観だったりとか、歌がどのように成り立っているかを示してくれたほうが何十倍も興奮する。大辻さんはそこをきちんと論理に落とし込んだ上で説明してくれるので、面白く感じることができる。

 そして大辻さんの興味の根幹は、単なる学術的なものではなく自作も含めた現代の短歌がどうなっていくのだろうかという、実作者としての生々しい欲望に貫かれている。なので、われわれ読者が読んでも面白いのだと思う。

 長くなっちゃったけれども、私がこの本をおすすめする理由はだいたいこんな感じです。