短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第16回 小高賢『老いの歌』

永井祐

 

今日は、『老いの歌』(2011年刊・岩波新書小高賢)をやります。

 

 

 

 

小高さんは2009年に「老いという短歌のフロンティア」という評論を「短歌現代」9月号に発表しました。

翌2010年4月号の「短歌研究」では「老いのうた」特集が組まれたりと、この評論はプチブレイクしていたのですが、震災があったりでなんとなく話が流れてしまっていました。

その「老いという短歌のフロンティア」をふくらませ、小高「老いの歌」論が一冊にまとまっているのが本書です。

 

「老いという短歌のフロンティア」は面白い評論です。

そこで引用される「老いの歌」はたしかにこれまでのものとは違っていた。

 

見えないと無いとの違ひを考へたり極めて薄き考へなれど 小暮政次

 

結び目はほぐさないのが面白いなどと思ひてしばし居りしが  

 

何かがある向う側には何かある見えないものがあると感じる

 

とりあえず小暮政次さんの歌を引いてみました。

どうでしょう。なかなか変な歌ですよね。

具体的なものが出てこないで、ひたすら考えているんですけど、それが深まらずに浅いところをぐるぐる回っている。

小高さんはこんな風に書いたり言ったりしています。

 

 作品の意味は正直よく分からない。しかし、何かを考えているのだ。どこかが気になっている。

 

(二首目について)「結び目とは何だろうか。人間関係のほつれなどと、まず解釈してみる。ほぐしながら物事を前にすすめるのが普通だ。しかし、と小暮は思うのである。「このままにしたらどうだろうか」という気持ちに傾く。やや意地悪な視線かもしれない。こうやって斜交いからものを眺めようとしているのだろう。いろいろ想像している。その時間を楽しんでいる。だから、想像以上に作者の内面は複雑なのではないだろうか。

 

「短歌というのは五七五七七でつじつまが合うように作るのですが、どこか、つじつまが合わない。どこかでずれが出てくる。そういう面白さが小暮さんの歌にあるんです。」(短歌研究「老いのうた」座談会)

 

「老いというのは、(略)、しょっちゅうわけもわからないことを考えているわけよ。見えないと無いのとどう違うんだろうかみたいな。」(同)

 

「ある観念が、つきまとってしまうと、くりかえし言わざるを得なくなって、しょっちゅうそれを考えている。それが一種の老いで、もうろくと言えばもうろくなんだけど。」(同)

 

老いの実体とか、もちろんわたしもよくわからないですが、「観念的なことを浅いところでくるくる繰り返す」というこれらの歌には、迫力というか、一種のガチ感を感じます。

具体的には、下句の付け方ですね。「見えないと無いの違ひを考えたり」も「結び目はほぐさないのが面白い」も「何かある向こう側には何かある」も、下句で視点なり話題なりを切り換えていれば普通にまとまると思うんですけど、

「極めて薄き考えなれど」「見えないものがあると感じる」と特にゴールもないまま同じ話題に執着して繰り返されるところに、ちょっと異様な感じを受けます。

ほかにはこんな歌。

 

ジャンパーのうちポケットにある過去と笑いて部屋の釘にかけたり 岡部桂一郎

 

十五夜を橙と月あらそえり疲れて眠る大きだいだい 岡部桂一郎

 

ゆっくりと塩田(しおだ)さんまでつく杖の風船かずら きいろいざぼん 岡部桂一郎

 

星の御殿見上げゐるうち手も足も星の画鋲にとめられし感 浜田蝶二郎

 

(一首目について)おそらく「笑いて」と「部屋の釘にかけたり」の間には、時間・空間の双方に隙間がかなりあるだろう。「私」は少なくとも二重になって表出されている。

意味ははっきりしないが、ジャンパーのうちポケットにしまってある過去。それを笑う自分。それと釘にかけている自分は、一体化されていない。微妙にずれていないだろうか。

短歌は通常、一首を「私」の観点から統制する。つまり、三十一音すべてを見つめ、「私」の観点から描写するのである。しかし、この作品は、上句と下句が微妙にずれている。しかし、そこがおもしろい。不思議な感覚が立ち上がってくるからだ。

 

(二首目について)おかしな作品だ。月とだいだいが月夜に競い合っている。鮮やかな黄金色を競っているのかもしれない、あるいは競っているのは丸さなのかもしれない。いずれにしろ、だいだいと月を対比している。童画的に美しい。そこまでは鑑賞できる。四句目以下は、難解である。どうして「疲れて眠る大きだいだい」になってしまうのだろうか。深読みすればこういうことである。

「だいだい」は、自分が眺めているかぎりその丸さや鮮やかな色が伝わってくる。しかし、眠ってしまえば、だいだいは認識されない。しかし、月は客観として存在している。生き物としてのだいだいに私が投影されているのではないか。「私」が拡大・肥大してしまう。あるいは逆に短歌的「私」がだいだいのなかに溶解してしまっている・・・。それが幻想的な印象を与えるのだ。つまり「私」の変容として捉えたほうがいいのだろう。

岡部の場合、「私」がくっきりと囲い込まれていない。おかしな言い方かもしれないが、「私」が一首からはみ出している。

 

 

(三首目について)さらに難解である。散歩のおりの嘱目なのだろうが、「塩田さん」という表札のあるあたりまでゆっくりと歩いていった。その途中に風船かずらが実っていたのだろう。そこまではなんとなく見えてくる。一字空いて「きいろいざぼん」という結句は投げ出したようでひどく唐突である。だいだいと月のように相似するものがあればいいが、「風船かずら」と「きいろいざぼん」には関係性がかなり希薄ではないか。色も形もちがう(季節は秋と冬)。

私はこんな風に鑑賞した。風船かずらを発見した。それまでは事実であろう。それをきっかけにして、作者は回想に耽ったのではないか。そのなかで「きいろいざぼん」が惹起された。ここにおいても「私」が時間の隔たった異なった次元に飛翔している。この作品をどう受け取るかもむずかしい。いままでの短歌の尺度でいえば、作品の体をなしていないといってもいい。そういう風に裁断する立場もあるだろう。結句になって意味が朦朧としてしまうように思う。しかし一方で、おもしろい感覚が生れていることも感じる。いずれにしろ、はっきりしない。

 

 

引用長くなってしまいました。小高さんも苦労して書いてる感じですが、彼がこれらの歌に対して非常におどろいているということは伝わってくるのではないかと思います。

わたしもどれも好きだし、新鮮だと思います。(「だいだい」って何だろう?)

 

小高さんはこれらの歌に、近代以来の短歌的なくっきりとした「私」の変容や拡大を見ようとしています。

何だろう、言い方むずかしいんですけど、これらの歌ってその出方が非常にユニークなんですよね。

「私」を越える、なんて言っても、そもそも一人称視点とは違うところに作歌意識があったりとか、一首の構成感がはじめから「私」を越えてるところの短歌で、私の拡大とかが見られても、それはそんなにすごいことじゃないんですよね。

これらの歌の貴重なところは、やはりそのガチ感にあって、あまりこの言葉は使いたくなかったのですが、「ぼけている」のと紙一重に見えるところなのです。そのへんに小高「老いの歌」論の面白さもヤバさもあると思います。老いによって、自我や言葉の統制がむしろゆるんでくるところに「フロンティア」があるんじゃないかということですね。

四首目やってなかった。

これもとても面白い歌ですね。星座からそのままの連想なのでしょうが、「画鋲」の比喩が意表を突きます。手も足も画鋲でとめられて、むしろたいへん気持ちよさそう。「御殿」と締めの「感」(「とめられし感あり」ということだと思います)がおじいさんぽくてチャーミングです。

 

小高さんは「老いの歌」と「高齢歌人の歌」を、けっこう厳しく区別します。

たとえば、

 

長生きは余得ともいふ失策のごとしともいふさびしいかなや 馬場あき子

 

生き方を変へたいつてそれは無理だらうやうやく老いの深くなる淵 岡井隆

 

こういうのは、いわば「老い」の題詠みたいなもので「老いの歌」には入らないそうです。

 

作品に乱れがない。不用意なものいいもない。(略)意志と行動との間にずれが起こることもない。作品のすがたがクリアである。不分明なところが見えない。(略)そこに老い特有の不完全さはない。

「老い」は格好のテーマになっているが、いままで述べてきた「老いの歌」とは根本的に異なっている。「私」は一貫しており、ぶれたり、拡大したりしていないからだ。自己のコントロール下に置かれている。

 

小高さんは、コントロールの効いた高齢歌人の歌の価値を認めつつ、「フロンティア」はむしろ、岡部・小暮・浜田の引用歌のほうにあると言いたげです。

 

「歌においての老いは、近代でも戦後でも、一つの型に強制してきたわけですよ。そういう強制からまだ逃れられていない。」(短歌研究座談会)

 

「老い」の実態は、それほど単純なものでないこともなんとなく想像できる。考えてみればそれも当然である。多くの体験を経てきた存在が、それほど一直線上で、しかも一様に、枯れたり、揃って円熟したり、悟達するわけがない。(略)私たちは誰でも「死」が怖い。そこで、どうしても克服する・克服した「物語」を欲してしまう。その思いが、老いを過剰に装飾してきたのかもしれない。

 

引用でわかるように、小高「老いの歌」論は強烈な価値転倒をはらんでいます。

平均寿命は伸びる一方だし、

当時六十代中盤ぐらいだった小高さんにとって、「現代においてどのような『老い』が可能か」ということが、リアルに切実な問題としてあったんだろうなと思います。それが選歌の目を鋭くし、論のエッジを立てている。

小高さんはしかし、2014年に七十代を待たずに亡くなりました。

人生、そういうものですかね。