第9回 塚本邦雄『新古今集新論』
永井祐
新古今集新論―二十一世紀に生きる詩歌 (岩波セミナーブックス (57))
- 作者: 塚本邦雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/11/28
- メディア: 単行本
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この本を読んだのはずいぶん昔です。たぶん十年以上前。
なぜこれを読んだのかはよく覚えていません。たぶん読みやすかったんだと思います。
塚本さんは古典の本をたくさん出していますが、これは中でも異色です。
「岩波セミナーブックス」というシリーズの一冊で、たぶん何かの講座をもとに
書き起こしている本みたいです。
だからしゃべり口調で書かれている。ギャグも言っています。
塚本さんの普段の書き方はカジュアルの対極ですから、そういうギャップもこの
本の面白味かもしれません。
この本が対象としているのは「新古今集の時代」です。
塚本さんが愛している『新古今和歌集』ですが、ここではそれをはじめから読んで
いくのではなく、その時代を描くために、新古今集の編纂に向けて行われた「六百番歌合」「千五百番歌合」がメインに扱われます。
これらの歌合(うたあわせ)は新古今集の母体となるとともに、当時の現役歌人たちの活躍の場だったんですね。
ちなみにわたしは、和歌の知識は乏しいです。「ながめ」が「長雨」にかかっていると言われても「はあ」という感じです。塚本さんもそれほど細かくフォローしてくれるわけではないので、歌そのものはすみからすみまでわかるわけではないのですが、
この本は読んでてなんとなく楽しいですね。
理解にはすんなり導かれないのですが、和歌を読む動機のほうを揺すってくれるというか。
語り方も少々エンターテイメント的な気がします。
まず、構図が勧善懲悪なのです。
十二世紀末、宮廷歌壇は六条家と御子左家(みこひだりけ)が対立して鎬(しのぎ)を削っています。(略)六条家、この方人(かたうど)で言うと季経、顕昭、経家、有家がそれに属し、俊成、定家、家隆、寂蓮が御子左家に属します。この歌合では御子左家の頭領である藤原俊成が判者をつとめています。
歌合は別に六条と御子左に分かれてやっているわけではないのですが、バックグラウンドとして六条家と御子左家の対立がある。
御子左家は先駆的な天才たち。六条家は何かというと万葉集を持ち出して御子左家の足を引っ張ろうとする、才能がないくせに意地悪な保守派。そんな感じで描かれています。
次、季経。六条家です。(略)新古今集入撰、一首。わかるでしょう、六条家の劣性遺伝が。
ここまでくると優生思想みたいでやばいのですが、八百年以上前なので。
とにかく、両家のピリついた空気のなか、六百番歌合が開かれます。
みなさん、歌合をやったことがあるでしょうか。
僕は一、二回あるのですが、どちらも大変な泥仕合に終わりました。悪い意味でのモヤモヤだけが残りました。歌合前夜の宿泊先のホテルでは、深夜に水を買おうと廊下を歩いていると、なぜか立ったまま何事かぼそぼそとつぶやきながら短歌を推敲している人に一人、二人と出くわしました。
そんな歌合を、そもそも対立している二家の混成で、しかも一方の頭領を判者として行うなんて、想像するだにきつい話です。
案の定、泥仕合が行われたようです。
六条家の論客、顕昭は俊成が判詞を書くたびにかみついたそうです。
冒頭の「元日宴」で、顕昭が「むつきたつ…」という歌を出す。「むつきたつ」という修辞は、聞いたことがない、例が少ないと俊成は言う。そんなことない、万葉集には、ちゃんと「むつきたつ」という歌があると、待ってましたとばかり顕昭が万葉を引き合いに出すわけです。なるほどと一言、俊成が言えばいいのに、万葉集も結構だがいかがわしい変な歌もたくさんあるアンソロジーであると切り出します。たとえば、山田朝臣の鼻の上を掘れというふうな変な歌があったはずだがなどと。言わなきゃいいのにね。池田朝臣なんですあれは。(略)さあ、待ってましたとばかり、顕昭は今、何か俊成さんが万葉の悪口をおっしゃったが、万葉をよく読んでからおっしゃるべきだ、「山田朝臣」なんて万葉にはない、おっしゃっているのは、多分「池田朝臣」のことだろうとね。俊成、返す言葉もない次第です。
こういう、山田だとか池田だとかの枝葉末端の嫌味の言い合いを冒頭からやっていた。
顕昭は歌合終了後に自分の反論をまとめて「六百番陳状」と呼ぶ論難集大成を出しているそうです。
そんな六条家を相手に、我らが御子左家の天才たちが戦っていく。
この六条家VS御子左家のところはこの本のキャッチ―なところです。
あとはやっぱり、塚本さんの歌の読みが面白い。
ひととせをながめつくせる朝(あさ)戸(と)出(で)に薄雪こほる寂しさの果て 定家
毎日、毎日、こういうふうに私は家を出て、九条家に出勤する。いつの間にか一年が経ってしまった。今朝は昨夜の、うっすらつもった雪が凍てて鈍く光っている。そのガラス状に凍った雪のするどい感触。(略)これ、現代短歌として通るでしょう。(略)
ところが、当時、このような技法が、特に六条家からいかにそしられたか、それは想像に余るでしょう。こんな用語は万葉集にはないとかね。
なるほど。この歌はわたしもわかるような気がする。
でも、この歌は負けになってしまう。判者でかつ父親の俊成いわく、
「ひととせをながめつくし、さびしさのはてといはば、雪もふかくや侍るべらんとこそおぼえて侍るを、うすゆきこほるといへる事、たがひたる様にや侍らん」
俊成は、「ここは『薄雪こほる』は違うんじゃないの? 雪は深く積もってなきゃおかしいでしょ」と言っています。それに塚本さんは、
雪が深々と積もっていたら、ぜんぜん寂しさなんか出てこないでしょう。ガラス状に凍ててひりひりと光っていて。それだからこそ、「寂しさの果て」なんです。この感覚がどうしてわからなかったのか。
と言っています。わたしはこれは塚本さんの言うことよくわかります。
でも俊成の雪は深くなきゃおかしい、というのも、興味深い意見です。「そういう風に思うんだ、」という意味で気になります。
ほかには、これもよかったな。
手にならす夏の扇とおもへどもただ秋風の栖(すみか)なりけり 良経
「手にならす」というのは、当時の扇は檜扇ですからね、たたむ扇じゃありません。ぱたぱたと檜扇ですから、手にならす。音をたてるの「鳴らす」と、使い慣れるの「馴らす」と両方の意味があります、「手にならす」とは、手にならして、それが音をたて、単に風を送っているだけの扇だが、考えてみれば、ここには秋という季節そのものが住んでいるのだという。十二世紀のSF短歌です。「ただ秋風の栖なりけり」これは絶妙です。
ところがこれも負けてしまう。
塚本さんは誤判だといってくやしがっています。
なんだろう。塚本さんの選や読みって魅力的だし、わかるとも思うんですけど、ひょっとしたらすごい的外れなのかもな、とも思うんですよね。和歌の世界を他者としてながめたときに。わたしにもわかる自己流で読んでるんだけど、それってまったく違うルールでやってるはずの和歌にも通用するのかな、って少し不思議な気になる。でも他の和歌の本よりずっと面白いですね。少なくとも僕には。
恋ひ恋ひてよし見よ世にもあるべしと言ひしにあらず君も聞くらん
恋しい恋しいと思って、とにかく見ていて下さい。このまま世に生き存(ながら)えていようなんて、私はぜんぜん思っていません。そのことはあなたも御存じでしょう、と歌っています。迫って来るようなこのリズム、不思議な文体です。
日に千たび心は谷に投げ果てて有るにもあらず過ぐるわが身は
すさまじい歌です。直情径行、思いのたけを吐き出したという感じで、新古今調の妖艶な趣はありません。
ながめ侘びぬ秋より外(ほか)の宿もがな野にも山にも月やすむらん
勿論これの特徴は六音の初句切れです。これに無類の味があります。
式子はすごく追いつめて作ってることがわかる気がして、わたしも好きです。
一首目、冒頭からリズムがはりつめていて、息せき切ってるみたいな、ヴァイブスすごいのはなんとなくわかります。
二首目、上句は現代で見ない表現で、うわあ…てなりますね。「有るにもあらず」は「生きてるのかどうかもわからない」という意味です。
三首目は言うとおり「ながめ侘びぬ」の六音の初句切れがかっこよすぎです。「ながめつかれてしまった」という意味になります。