短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第20回 佐藤春夫『晶子曼陀羅』

事実か、真実か、それとも物語か 土岐友浩

晶子曼陀羅 (講談社文芸文庫)

晶子曼陀羅 (講談社文芸文庫)

 

 

与謝野晶子といえば歴史の教科書に「君死にたまふことなかれ」という詩が載っているから、反戦表現者というイメージを抱いていた。

しかし平塚らいてうとの論争や、日本で初めて男女共学を実現した文化学院の創設に加わり、その学部長に就任したことを知ると、日本史的にはむしろ、男女平等を論じ、女性の自立に貢献した人物として記憶されるべきではないか、という気がしてくる。

 

1942年には出征する四男を激励するような歌も詠んでいるのだが、晶子の戦争観をここで論じたいわけではなく、この四男の名前が「アウギュスト」だったことに僕などは思わず目が行ってしまう。

 

アウギュスト。

 

パリで彫刻家のロダンと会ったときに感銘を受け、晶子はそのころ身ごもった子に、この名を授けたそうだ。もちろん鉄幹との間の子どもである。

戦時中に「君死にたまふことなかれ」を発表したことよりも、日本人らしさなどいっさい気にしないストレートな命名センスが晶子のすごさなのだと、僕は思う。

 *

『晶子曼陀羅』は、小説である。

佐藤春夫が本書の冒頭で「これは勿論、晶子伝ではない。また晶子論ではない」と読者にしっかり念を押しているから、それに従わないわけにはいかない。

 

佐藤は中学時代から「明星」に短歌を投稿し、上京後も与謝野鉄幹と晶子の世話になっており、言ってみれば身内の人間だった。

そのため小説の事実関係をめぐる問い合わせが絶えなかったようで、佐藤は「著者から読者へに代えて」という長いあとがきで、こう答えている。

自分は女主人公をはじめ多くの実在の人物を取扱うに就て作者が事実以上の真実を伝えたいためにする虚構をそっくりそのまま事実と思い込むそそっかしい読者にこれは事実談ではなく小説というつくり話ですよと警告して置いたもののつもりでしたが、そそっかしい人たちはどこまでもそそっかしいものと見えてやっぱりあのフィクション(作り話)を事実と考えて拙作を小説ではなくさながらに晶子伝のように読みちがえている向もあるらしく、そういう意味の訂正を要求したのや、事実の詮議にかげ口をまじえた文学史家まがいの講話までもあったとか、(以下略)

 

まだまだ続くのだが、佐藤が書きたかったのは「事実以上の真実」だった、という部分だけ押さえておけば十分だろう。

解説の池内紀の表現を借りれば「小説と銘打った詩的幻想の試み」の向こうに、佐藤は詩人の像という「真実」を描こうとした。

 

事実か、真実か。

 

どちらを追うのも、決して間違っているとは思わない。

 

だが、そうではない読み方もある。

というようなことが言いたくて、今回、この本を取り上げた。

 

『晶子曼陀羅』は講談社文芸文庫でしかも読売文学賞受賞作だというから、ハードルが高そうだけれど、もともとは新聞小説なので意外と読みやすい。

書き出しを見てみよう。

「ほう、どなたかと思えば、これはよくこそ。駿河屋さんのいとはん(令嬢)か。何はともあれ、まあお上り。」

と主人の樋口氏の言葉に、小ざっぱりとした荒い久留米の袷に紫繻子の半幅帯を締めた小娘は、無言で一礼すると、既に勝手を知ったもののように、すたすたと玄関に上りこんで、

 

NHKの朝ドラか大河ドラマの始まりのようではないだろうか。

この「小娘」とは、もちろん晶子のことだ。短い描写で、晶子の気質がさりげなく書かれている。

 

読売新聞紙上で『晶子曼陀羅』の連載が始まったのは、19543月。

幼少期から始まって、晶子が鉄幹と出会い、山川登美子との三角関係など紆余曲折を経て結婚。最後の場面は、ヨーロッパに留学した鉄幹を追って晶子がパリまで会いに行ったところで、だいたい34歳くらいまでの前半生が書かれていることになる。

その後の社会的な活動については、ほとんど触れられていない。

 

言わば佐藤が書いたのは、詩人としての与謝野晶子であり、そして、ちょうどそれは「明星」の栄光と衰退の物語に他ならなかった。

 

「明星」は当時、最高の文芸誌という評判をほしいままにしながら、毎回高利貸からお金を借りて発行しなければならなかったという。

こういう本作りの苦労話には、個人的に涙が止まらないのだが、それはともかく、興味深かったのは、というか読んでいて何度も驚いたのが、佐藤が与謝野夫妻に対して、けっこう辛辣な書き方をしていることだ。 

 

たとえば『みだれ髪』のことを、こう評している。

その節度のないあまりに生々しい実感と、奔放に原始的な表現とを、あっさり情熱的と評価して来ているが、実はホルモンがまだ完全に昇華し切らないで幾分の原形をとどめた詩歌の半獣半神体とも名づくべきヒステリックな風体で、青春の狂乱をそのままなのがこの集に独自な美である「みだれ髪」とはまことにいみじくも名づけた。

  

「明星」を代表する歌集に贈られる言葉として「節度のない」「ヒステリックな風体」とは、なんともきつい。

 

他にも「明星」のメンバーは、晶子は「白萩の君」、登美子は「白百合の君」と、それぞれ花の名前を付けて呼び合い、その中心にいた鉄幹は「星の子」と呼ばれていたのだが、佐藤は「青春の新興宗教にも似たこの新詩歌の集団」云々と、ずいぶん突き放した言い方をしている。

 

このように佐藤は「明星」の歌人たちを美化することなく、きわめて醒めた眼で批評した。

(鉄幹は)一種の選民思想を抱いた理想家であった。彼の理想とする詩歌の革新という天職のためには田舎の豪華の一軒や一族の滅亡ぐらいは意にも介しなかった。

(中略)

そういう選民思想で、鉄幹の求めているのは単純な愛人ではなく、ともに新しい詩歌を創造するに足る素質のある「才たけて顔(みめ)うるはしくなさけある」相手なのであった。

(中略)

いずれは台所の煤のなかに、ばら色の頬の色褪せてゆく少女たちのなかから、せめて一人でもひろい出して、その青春を思う存分に生きさせ、そこから互に新らしい詩歌を生みたい、生ませたい。玉の如き愛児は設けないでも、いばらに埋もれた詩歌の古道をともに新しく拓くべき人がほしい。

(中略)

こういう神がかりは有害だから世俗の悪むところとはなるが、一部の信仰者も出ないではない。

現に帰京後も鉄幹に手紙を競争のように書き送る登美子、晶子がそれである。

  

このくだりに、鉄幹の悪が、絶妙に書き尽くされていると思う。

 

新時代の詩歌を理想に掲げ、それを実現するためには、どんな犠牲もいとわない。

悪という言葉が強すぎるならば、業、あるいは、厄介さ。

 

「いずれは台所の〜」以下の一文は、鉄幹の醜い思い上がりを容赦なく書き立てながら、しかしどこかに詩歌に殉じた人間への同情がにじみ出ている、あまりに悲しい文章ではないだろうか。

 

「明星」の成功によって鉄幹の夢は実現したが、現実の生活は困窮を極めた。

その「明星」もやがて時代の潮流に取り残され、人々は次第に離れていった。

 

晶子は名を成したが、「明星」を失った後、かつての「星の子」だった鉄幹のもとには、何も残らなかった。

仕事もないので、多忙な晶子をよそに、ひとり庭先で蟻を殺して遊んでいたという。

その変わり果てた夫の姿を見て、晶子は考える。 

名声によじのぼってやっと支えられていた蔓草のような夫の自信が名声の失われると一しょに無くなってしまっているのは歎かわしい。あれほどの大才を抱きながら、どうして自分ひとりで自分を信じることができないのであろうか。自ら信じることの篤い晶子は、進んで夫の蔓草のような自信を支える手になろうと思ったが、うっかりそんな事を云い出せば、また晶子が世の名声に心おごって、夫を凌ぐような態度に出ると依怙地になるにきまっている。自分は誤って名声を得たおかげで幸福を失った。自分の欲しいものは幸福であって、決して名声ではない。もし自分に何かの名誉がほしいとすれば夫の唯一の愛されている弟子というだけで沢山なのである。何で夫と名声などを争おうか。こういう事は今に追々と夫に納得してもらうとして、今はもっと具体的に、きょうこのごろの悪い生活から夫も自分も一刻も早く抜け出すのが急務である。

 

この述懐は、すべて佐藤の想像なのかもしれない。

しかし、虚構を恐れず、平明な言葉であざやかに詩人が生きた時代を書いた、やはりこれは小説であり、優れた歌書なのだと思う。