短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第54回 塚本邦雄『茂吉秀歌「あらたま」百首』

永井祐

こんにちは。

今日は塚本邦雄・著『茂吉秀歌『あらたま』百首』(講談社学術文庫)をやります。

 

 

『茂吉秀歌』は、塚本邦雄による斎藤茂吉の秀歌鑑賞のシリーズで、全5巻。(初版は1977年~1987年刊、文藝春秋から)

これはその2巻目にあたるものです。

茂吉の全17歌集を5巻にわたって読んでいく、けっこう長大なシリーズなのですが、

一首ごとに3ページで区切ってあって、まずは読みやすいものだと思います。

どの巻から読んでもいいし、気になる歌のとこだけ読むのもありです。

歌書としての魅力は、なんといっても「一首一首ごりごり読む」ところですね。

この歌のここがすごい、いい、好き、凡庸、わからない、つまらない、とか、そういう具体的な話がメインになります。

あと秀歌鑑賞といっても、塚本さんのウンチクとか雑学とかエッセイ的な要素とか、短歌語りとかいろいろ出てくるので、そういう面白さもある。

 

読んでいると思うんですが、「邦雄×茂吉」って個性の組合せとしてすごく合うんでしょうね。だからこそ鑑賞だけで5巻もある人気シリーズができるわけで。

平たくいうと、斎藤茂吉がボケで塚本邦雄がツッコミのコンビのような感じです。

茂吉はずっと意外性のあるボケをかまし続け、塚本邦雄はそれに一個一個つまずいてつっこんでいきます。

 

わたしはこの本はずっと前、大学生のころに読みました。古本屋の店先の文庫コーナーにさしてあった。多くは絶版なのですが、少し前の講談社学術文庫って、歌書がけっこう入ってたんですよね。だから、それなりに大きな本屋だと『茂吉秀歌』もたぶんふつうに並んでいたのかな。

今は本屋にはないけど、そのかわり僕らにはネットがあります。検索してポチっと押せば100円しないやつが自宅に配送されてくる。

 

では、読んでいきましょう。

『あらたま』は大正十年刊の斎藤茂吉の第二歌集。

なぜ今回『あらたま』にしたか。特に意味はありません。なんとなく。

いろんな評価はありますがとりあえず置いておいて。塚本邦雄は全5巻のうちの1冊を丸ごと『あらたま』にあてているわけで、重要歌集とみなしています。

歌を引きます。

 

ふゆ原に繪をかく男ひとり來て動くけむりをかきはじめたり

 

気になる歌ですよね。「動くけむりを」描く男。茂吉の中ではたぶんちょっとした異色作。塚本さんはこう言います。

 

『あらたま』随一の風変りな、心にくい歌である。もつとも第一印象はさほど鮮烈ではない。

 

何もなささうで何かがある。平凡退屈な一風景でありながら、それ以外の世界と不気味に関る。矛盾だらけの構成で素朴不器用な修辞に見えるが、さて突(つつ)きやうも改めやうもなく、相当したたかな工夫を凝らしてゐることに後で気づく。要するにポーカー・フェイス、もしくは童顔の曲者といつた感じの別格的秀歌と言はう。

 

素朴な歌に見えるが、微妙な均衡の上に成り立っていて、どこかを変えるとそのよさが霧散してしまう。

 

たとへば場所が草いきれのする夏野だつたらもうぶち毀しだ。第一、「動くけむり」は疾風で吹き飛ばされるか、曇天に圧されて地面を這ふかだ。絵を描く「女」でも困る。若ければ歌そのものが軽薄になるか腥(なまぐさ)くなるかだし、老女だとすればあはれが纏(まつは)り、不必要にロマネスクになるだろう。一人でなくて画家が二人以上だとすると、彼らは素人でその辺が騒騒しい。

 

なるほど。このへん、見方がいろいろあると思うんですけど、「動くけむり」を中心にして、「ふゆ」も「男」も「ひとり」も効いている、動かせないというのは僕も同意です。

ところで、

 

「絵をかく男ひとり来て」と言ふが、「かきはじめ」る前から「絵をかく男」すなはち職業としての画家とどうして判つたのだらう。「画家らしき男」の方がより「写生」の義に迫つたらうに。(略)まるで紙芝居の口上や、活動写真の弁士の説明を思はせ、そこにも作者の意図したフモールが漂ふ。

 

この歌の話法は、作中主体の視点にカメラアイを固定するという意味での「写生」の範囲を越えていて、芝居の口上のようだという指摘です。そこに面白味があると言っている。

そして「動くけむり」のよさを力説!

 

「動くけむりを」に落ちつくまでの作者の心中の凄じい推敲は想像に剰(あま)る。「たなびく煙」「上る煙を」「空の煙を」どれを置いても平凡陳腐、見るに耐へぬ。

ところが「動くけむりを」と、中でも更に当然で目立たぬ句にすると、歌は俄然微妙に色めく。戦後のイオネスコやベケットの前衛劇のある幕に現れても決して異質ではない味のある一場面だ。前衛劇とは不用意な例だが、決して並の新劇乃至(ないし)南画風空間には似合わない。洋画そのものからもやや逸(そ)れる。「動くけむり」を描くその一事に哲学的、人生論的に深遠な意味を持たせるのは愚の骨頂だ。

 

 

「動くけむりを」は最高である。わかんないやつは帰れ、みたいなことになっている。

後半はわかりにくいけれど、東洋画とか新劇の空間じゃない、「前衛劇」のセンスなんだ、と言っている。

わたしは「前衛劇」あまり知ってるわけじゃないんですけど、言いたいことはわかると思います。「動くけむりをか」く、といって「哲学的、人生論的に深遠な意味」が一瞬見えそうになるが、しかしそこには何もない、「何もない」ことこそが大事、みたいな感じですかね。

 

どうでしょうか。

一首やっただけだけど、この本の調子、塚本邦雄の読みのトーンはちょっと引用するだけでけっこう出ていると思います。

もう一首いきましょう。

 

草づたふ朝の螢よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

 

斎藤茂吉の代表歌のうちの一首としてあがることも多い高名な歌ですね。

 

確かに『あらたま』のみならず茂吉一代の代表作の一たるを失はぬ。同時に最高作とするには大いに躊躇(ちゅうちょ)する。二句の「よ」なる感歎助詞、結句の命令形祈願、共にやや意外の感がある。咎(とが)める意はさらさらない。むしろ驚きつつ溜息を漏らす。

 

さて何を言いたいのか。

この歌はそもそも読み方に謎があるんですね。たぶん色んな人が言ってきたと思うのですが、草を伝っている「朝の蛍」に、わたしの命を死なしめないでくれ、と呼びかけているのかそうではないのか、が曖昧なのです。

 

「朝の蛍よ」と「みじかかるわれのいのち」の間には一、二字の空白、誦する時は一、二拍の休止を要しよう。「よ」は決して呼びかけではない。従つて当然のことながら、「死なしむな」とはアニミズムの使徒茂吉の心中にある造物主への祈願にほかならぬ。だからこれまた勿論(もちろん)のこと、構成はさらさら倒置法ではないはずだ。

 

倒置法だとすると、「夢夢死なせてくれるな、蛍よ」という意味になって、

 

それではあまりにも感傷に淫する。第一蛍が、お門違(かどちが)いだと鼻白む。

 

塚本さんはこのように「蛍への呼びかけ」説を否定する。たしかに、蛍は短命なはかないものなわけだから、それに「わたしの命を死なしめないで」と呼びかけるのは素朴に考えてちょっと「ん?」となるわけです。

ではこの初句二句はなんなのか。

 

「単に蛍に呼びかけてゐるのではない、自己を含む絶対者に縋る気持だ」との解もあるやうだが、これは更に朦朧化させるだけことではあるまいか。

 

とも言われるのですが、

でも、塚本さんの出す解、「アニミズムの使徒茂吉の心中にある造物主への祈願」もまあ、曖昧さでは五十歩百歩なのかなと思います。

そこで、斎藤茂吉の自歌自注が参照されます。

 

「朝草のうへに、首の赤い蛍が歩いてゐる。夜光る蛍とは別様にやはりあはれなものである。ああ朝の蛍よ。汝とても短い運命の持主であらうが、私もまた所詮(しょせん)短命者の列から免(まぬか)れがたいものである。されば汝とて相見るこの私の命をさしあたつて死なしめてはならぬ(活かしてほしい)、といふぐらゐの歌である。単純に『死なしむなゆめ』とだけ云つたために、これも常識的意味に明瞭を欠き、いろいろ論議の余地もあるわけであるが、ここは直観的に字面に即して味はつてもらへばいいやうである」

 

この自注もなかなかすごいですね。

曖昧ではあるだろう、ここは一つ「直観的に字面に即して」読んでおいてほしい、と。

塚本さんは「私は理解に苦しむ」と言っています。

けっきょく、誰もよくわからない。蛍に「わたしの命を死なせないでくれ」と言っているような、でもそれでいいのか・・・というところで関係者全員がさまよっている。しかしながらその状態のまま、この歌が傑作であるというところでは同意が取れている。

 

作者は必ずしも、自作の良き読者でも鑑賞者でも、まして批評家でもない。時によつては自分の傑作の、その核心のありかにさへつひに気づかぬ天才はゐるものだ。それでよい。

 

と最後にしめられます。最初の「咎める意はさらさらない。むしろ驚きつつ溜息をもらす。」というところに帰ってきた感じです。

 

この自歌自注はよく参照され、「こんなにいい歌を作っておきながら、作為はありませんみたいな顔ですっとぼけやがって。くっそおおお」みたいなやり取りが、シリーズを通してしょっちゅう出てきます。歌が弱い場合は、塚本さんの口調はもっと辛辣になる。

斎藤茂吉の不可思議さっていうのも、この本を読むとやっぱりすごく浮かび上がってきますね。

 

私は『赤光』以上に、殊更に辛辣な舌鋒を弄した。それがこの作家への畏敬の念の、私流の発露である。

 

濃い世界です。入れる人にはかなり楽しいシリーズだと思います。

ぜひ。