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短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第34回 岡井隆『森鷗外の『沙羅の木』を読む日』

永井祐

こんにちは。

今日は、さいきん読んだ本からやります。

 

森鷗外の『沙羅の木』を読む日

森鷗外の『沙羅の木』を読む日

 

 

 

岡井隆『森鷗外の『沙羅の木』を読む日』(幻戯書房)。今年の7月に出た新しい本です。

これは、1914年、大正4年に出た森鷗外による詩歌集『沙羅の木』を、

岡井さんがエッセイ調というか、雑談も含めつつ自然体な感じで作品を一個一個読んでいく、という本です。

『沙羅の木』は鷗外53歳のときに刊行なのですが、けっこう不思議な本で、

構成が、ドイツの詩人の翻訳・自作の詩・自作の短歌の三部立てになっている。

それで、鷗外の残した仕事の中では、あんまり研究とかされてない本らしいのですが、

岡井さんはこの風変わりな書物の謎を新たに解明するのかと思いきや、

それほどしないです。

ときどきで鷗外の意図について考え、「~かもしれないのだ」とか言うだけです。

それよりは一個一個作品を読んでく過程を大事にする感じですね。

 

さて森鷗外。

わたしは実は今年になるまでさほど興味がなく、作品もあまり読んでいませんでした。

ところが今年、「新・観潮楼歌会」という、文京区の千駄木にある森鷗外記念館主催の

イベントに出たのがきっかけで、文庫とか読んでみて、すごくピンとくるものがあって、すっかり好きになりました。

わたしが好きなのは彼の歴史小説です。「阿部一族」「護持院原の敵討」「最後の一句」などの。現代物で「百物語」とか「鶏」もとてもよかった。「カズイスチカ」も好きでした。

逆によく言及されてるけど「かのように」とか「普請中」とか「妄想」とかは、よくないと思います。「かのように」とか、言ってること中二っぽい気がしますね。

歴史小説は、昔なのにスーパーリアルなんですよね。やりとりとか、こういう流れで切腹するのかとか。昔の人が昔の人の論理のまま動いていて、1ページごとにおどろきがある。いわゆる時代小説とはまったく違うもので、こういうものをわたしは読んだことがなかった。

そういうわけでけっこう鷗外ファンになったので、友人知人に鷗外トークをしかけてみたのですが、みんな反応がひどかった。「あの最低の人ですよね」という反応が一番多かった。

これはどうも教科書の「舞姫」押しのせいであるようです。

鷗外というと「舞姫」が定着しすぎていて、日本の近代を代表するクソメンみたいなイメージになってしまっている。

ちょっとおおげさに言うみたいですが、文学史へのリスペクトとか別にない人からすると、けっこうそんな感じになってるんですよね。

そこで、知人の学校教師に「舞姫」はもうやめよう、最高の歴史小説か、オフビートな現代物の短編にしようと言ってみたのですが、その人が言うには、

「『舞姫』は授業での議論が盛り上がる」

とのことでした。

そうかもしれない、という感じがしました。「現場の声」です。現場では現場の論理によって「舞姫」が求められているのかもしれません。世界の複雑さをあらためて感じる出来事でした。

 

 

この本には、取り上げる詩が一回一回全文引用されます。

『沙羅の木』に入っていないものも、話の流れでどんどん引用されます。

それを読むのが今回は楽しかったです。

 

シャボン玉   ジャン・コクトオ

 

シャボン玉の中へは

庭は這入れません

まはりをくるくる廻つてゐます

 

 

これとか、すごくよかった。

シャボン玉と庭の情景が自分の記憶のように焼き付いて、

もう忘れません。

上田敏による名訳と言われるものだそうで、日本語の音感とですます調の選択がパーフェクトな出来ですね。

 

歌会に出て、世代の若い歌人たちと話していると、わたしと翻訳詩読みの体験を共有している人は、少く(あるいは絶無に)なりつつある。

 

と岡井さんは書いていますが、わたしはそのとおり翻訳詩をろくに読んでいないので、この有名な「シャボン玉」も今回はじめて知りました。

次は鷗外の創作詩の冠頭のもの。

 

沙羅の木 

 

褐色(かちいろ)の根(ね)府川(ぶかは)石(いし)に

白き花はたと落ちたり、

ありとしも青葉がくれに

見えざりしさらの木の花。

 

 

各行が五七調になっている四行詩。

根府川石」は、神奈川県の根府川に産する輝石安山岩で、石碑などに使われるとのことです。

「褐色」は濃い紺色。

「さらの木」はいわゆるナツツバキの木で、十メートルに達する高い木、花は六月ごろ咲いて、あっさりと散る。

 

詩の意味するところは、濃い紺色の敷石の上に、今まで青葉にまぎれて見えなかった白い花が、あっというまに、高い木から散り敷いているというだけのことだ。これを象徴詩だという解があるので、それに従って思えば、これは単なる、眼に見たものを写生した即興の詩詠ではない。

落ちてこそ(死してこそ)、はじめて気付く花がある。それも背景に褐色の敷石があってこそ、はじめてあざやかにその存在に気付くということなのである。それらが、ア母音の頭韻風の扱いと、イ母音の脚韻風のあしらいによって、こころよい響きと共に歌われているのである。なお「根府川」のような地名―それも「ぶ」という濁音が目立つ単語―が、異物として、よく効いていて、詩の重石(おもし)になっている。

象徴詩として、つまり、石や花やを寓意のあるものとして解いてみたが、もちろん、これを庭の景色をみつめて作った即興の詩として読むことも自由である。

 

 

こういう感じで、岡井さんと一緒に詩を読んでいこうというのがこの本です。

わたしは、一緒に読んでもらわないとこれとかちょっと、一人では読めないですね。

普通に意味をとる。

音韻を感じる。

そして、寓意を考える。

この寓意っていう要素が、わたしにはあまりなじみのないもので新鮮でした。

古い詩とか読むときにはやっぱり欠かせない要素なんでしょうか。

でもこの詩はなんとなく好きでした。さっぱりしてて、上の方の見えないところに白い花がたくさん咲いているというイメージがこころよかった。

 

ほかには、これなんかも。

ドイツの詩人、デエメルの詩。

 

泅手(およぎて)    リヒァルト・デエメル

 

助かつた。さて荒海と闘つて

纔(わづ)かにかち得た岸の土を手で撫でた。

その土をまだ白沫が鞭打つてゐる。

さて荒海を顧みた。

 

さて灰色な陸の四辺(あたり)を見廻した。

陸は昔ながらの姿に、固く、又重くるしく、

暴風の中に横(よこた)はつてゐる。

 

ここはこれからも不断の通であらう。

さて荒海を顧みた。

 

 

これは、「およぎ手」なので、

「助かつた。さて荒海と闘って

わづかにかち得た岸の土を手で撫でた」

というのは、荒海の中を泳いできて、なんとか岸にたどりついたというシチュエーションになります。

 

鷗外の訳詩を一篇の人生寓話詩あるいは箴言詩として読んでみる。そうすると、わたしなどが、人生の争闘を諷刺しているなと思うのは、第二連の「陸は昔ながらの姿に、固く、又重くるしく、/暴風の中に横はつてゐる。」というところである。泳ぎ手の男は、荒海と闘って、やっと岸にたどりついた。「助かった!」と思ったのも束の間のこと。やっと戻って来た陸地が「昔ながらの姿で固く重くるしい」ものだったのだ。海も荒れれば大へんではあるが、かといって陸地も安らぎの地ではないのだ。そして「ここはこれからも不断(普段)の通(とおり)であらう。」(変りばえもしない、世界なのだ)という認識におちつく。と読めば「さて荒海を顧みた。」の最終行の感慨も、単純ではない。荒海が、なんとなく、なつかしい場所のように思われるのではないか、と読みとくことも出来るのだ。

 

なるほど。助かってやっとたどりついた陸地なのに、灰色で「昔ながらの姿で固く重苦しい」ところがポイントであると。

僕はこれもけっこう好きでした。雄々しい感じですけど、読むと灰色の平たい土地が広がってて気が遠くなるような感じがします。人生の寓話だと言われるとそうかもしれず、ハードな相田みつをというニュアンスもあるかもしれませんが、なんか、景色もそうだけど世界観が日本人じゃないような気がしますね。

 

こうやって一つずつ、古い詩を読んでいく本です。原文を引用したりもしながら。

けっこう楽しいですよ。古い訳詩はなんだか新鮮なものがあるし。

最後にもう一個好きだったやつを、長いので前半だけ。

 

馬と暴動  石原吉郎

 

われらのうちを

二頭の馬がはしるとき

二頭の間隙を

一頭の馬がはしる

われらが暴動におもむくとき

われらは その

一頭の馬とともにはしる

われらと暴動におもむくのは

その一頭の馬であって

その両側の

二頭の馬ではない

ゆえにわれらがたちどまるとき

われらをそとへ

かけぬけるのは

その一頭の馬であって

その両側の

二頭の馬ではない

 

 

岡井さんは「難解な寓話詩」と言っていますが、けっこうわかるような気がしますね。

まず二頭が走るんだけど、その間から一頭の馬が出てくる。その一頭の馬とともにいく。

というのは原文を繰り返してるだけなので、寓意を解するというのとまったく違うのかもしれません。でも何かやるっていうときに、そういう感じがあるというのはわかるような気がします。

こういうLINEスタンプがほしい気がします。自分の中に、二頭の間の一頭が出たときに、ドンと押してみたいと思います。