短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第14回 枡野浩一『石川くん』

不来方への手紙 土岐友浩 

石川くん (集英社文庫)

石川くん (集英社文庫)

 

 

昔やっていた「トリビアの泉」というTV番組では、なぜか啄木が取り上げられることが多く、「石川啄木はHな日記を妻に読まれては困るため、ローマ字で書いていた」というネタは82へぇを獲得した。

他にもこの番組では、啄木が高校時代にカンニングをしていたとか、借金まみれで、ろくに返済する気もなかったというような話が、面白おかしくネタにされていた記憶がある。

それだけ、短歌からイメージされる人間像と、啄木本人とのギャップにインパクトがある、ということだろう。

 

 *

 

枡野浩一の『石川くん』は、「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載をまとめた本である。
https://www.1101.com/ishikawa_kun/index.html

大部分のコンテンツは、上のリンクから読むことができる。

第1回が2001年5月5日。

毎週土曜と日曜に更新で、全26回。13週間、欠かさず更新された。

タイトルの「石川くん」というのは、満26歳で他界した啄木に、当時32歳の枡野が、もし生きていれば歌人としては同世代、というわけで、親しみをこめて呼びかけたものだ。

 

「ほぼ日」の読者、つまり啄木のことや、短歌のことは、ほぼ何も知らない、という読者を主に想定して、本文は書かれている。

その語り口は、ちょうどラジオのディスク・ジョッキーのようだ。

冒頭で啄木の「歌」をひとつ(またはふたつ)読み、続いて枡野のトークが始まる。

最後が「また明日」とか「また来週」という挨拶で締められているあたりも、ラジオっぽい。


まずは冒頭の「歌」を見てみよう。

枡野はまず、啄木の短歌を現代の口語にリライトする。

 

全人類が
俺を愛して泣くような
長い手紙を書きたい夜だ (枡)

 ↑

(たれ)が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕(ゆふべ) (啄)

 

一度でも俺に頭を下げさせた
やつら全員
死にますように (枡)

 ↑

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと (啄)


こんな具合だ。

 

ここで枡野は、とても興味深いことを書いている。

じつは今の言葉(口語)は、
同じボリュームの
昔の言葉(文語)とくらべると、
情報量が格段に減るのです。
つまり、
文語短歌と口語短歌で
単語の一個一個を対応させると、
「歌の核心」が損なわれてしまう……。 (第1回)


口語短歌は、文語短歌に比べて一首あたりの情報量が少ない、ということだ。

僕も口語で短歌をつくるので、これは実感として、とてもよくわかる。


具体例を示そう。

 

ふるさとのなまりはいいな
人ごみにわざわざ行って
耳をすました (枡)

 ↑

ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしゃば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく (啄)

 

打ち明けて話して
何か損をしたような気持ちでいる
帰りぎわ (枡)

 ↑

打明けて語りて
何か損(そん)をせしごとく思ひて
友とわかれぬ (啄)

 

十五歳
お城の草に寝ころんで
空に吸われてしまった心 (枡)

 ↑

不来方(こずかた)のお城の草にねころびて
空に吸はれし
十五(じふご)の心 (啄)

 

マスノ版では、「停車場」という場面、「友」という相手、「不来方」という地名が、それぞれ欠落している。 

これは、明らかに意図的なものだ。

単に言葉遣いを現代風に改めるだけでは、文語短歌は口語短歌にはならない。

感覚的な言い方になるが、それでは、口語短歌としてのバランスが整わないのだ。

 

「歌の核心」を写しとろうと思ったら、情報量を犠牲にしないと、うまくいかないことが多い。

言い換えれば、文語短歌を読むような気持ちで口語短歌を読むと、「情報が足りない」、印象としては「淡い」、と感じやすいのである。

 

 *

 

本書の内容をひと言で説明するのは、意外と難しい。

 

第1回の時点で、枡野は啄木のことをそれほど知っているわけではなかった。 

私は最近、
石川くんのつくった歌をよく口ずさみます。
(中略)
だけど石川くんの歌のことが
昔から大好きだったというわけではありません。
なのになぜ最近になって急に
彼の歌を口ずさむようになったのか、
それは石川くんの問題というより
私自身の問題なのかもしれません。
(中略)
私は石川くんに最近興味を持ちはじめたばかりだから、
石川くんのことはこれから詳しくなっていく予定です。 (第1回)


では、枡野は啄木のどこに関心を持ったのだろうか。

ところで石川くん、
君がほんとはあんまり働かなかったってこと、
わりと最近じゃ有名だよ。
友達に借りた金を無駄づかいして、
プロの女の人といちゃいちゃしてたとか……。
はたらけど
はたらけどなお
わがくらし
らくにならざり
……っていう調子の良すぎるリズムが、
じつは働いてない君の姿を的確に表現してると思う。
石川くんの短歌を研究する文学者の中には
石川くんのことを弁護する人もいるみたいだけれど、
それってやっぱファン心のせいで
評価が甘くなってるんじゃないかなあ。
私にはわかる。
石川くんはなまけものだ。
だって、
サボってばかりいるくせして
「働いても働いても俺の暮らしは楽になんないなあ」
なんて自分をあわれんでしまう君の甘えん坊ぶりは、
私そっくりだから。 (第3回)

 

冒頭に書いた「トリビアの泉」のように、枡野はこの連載の最初のほうでは、啄木の意外な実像を紹介しつつ、読者に驚いてもらおう、としていたようだ。 

面白いのは、「はたらけど/はたらけど猶…」の歌を、リズムが良すぎて、「じつは働いていない君の姿を的確に表現してる」、という枡野の読み方である。

実際に勤勉な人間であれば、こうは詠めないだろう、というわけだ。

枡野は「なまけもの」なのに「はたらけど…」と詠う啄木のことを「甘えん坊」だと言いつつ、むしろその姿に、深く共感している。

 

石川くんは、
有名な歌人夫妻の与謝野鉄幹(よさのてっかん)与謝野晶子(あきこ)
可愛がられていたくらいだし、
もともと「短歌らしい短歌」をつくってたんだよね。
でも、歌人としてのデビューアルバム『一握の砂』は、
そういう「短歌らしい短歌」をどんどん排除して、
「ええっ、これが短歌?」
って歌人たちに言われそうな、
なにげない歌ばかりをわざと収録したんでしょ?
しかも、
一行で書くのがルールの短歌を三行に分けて書いて、
「短歌」を「詩」に近づけようと試みたり……。
かっこいー!
からかってるわけじゃないよ。
だから石川くんの歌のファンが、
今の時代にもこんなに多いんだなって、
本気で思うよ。 (第4回)

 

枡野は「言葉が通じないこと」、というか「通じない言葉を使うこと」に、とても敏感だ。その裏返しとして、説明がしばしば(知っている人にとっては)過剰である。

鉄幹・晶子に「有名な歌人夫妻の」という肩書をつけたり、第一歌集のことを「デビューアルバム」と言い換えたりと、いかにもマスノ的な文体のせいで見えにくくなっているが、内容を見れば、ごくまっとうな啄木評ではないだろうか。

 

試しにこれを、よくある書評やWikipedia風の文章に書き換えてみよう。

1903年、啄木は与謝野鉄幹主宰の「新詩社」に参加し、当初はその影響を受けて浪漫主義的な作品を「明星」に発表していた。しかし、第一歌集『一握の砂』では、生活に即した自然主義的な歌風に移り、このとき試みた三行分かち書きの形式は、後世に大きな影響を与えた。

 

これでも中身は同じことなのだが、こうは書かないのが、枡野のスタイルなのである。

 

さて、第5回から、枡野はいよいよ啄木の『ローマ字日記』を読み始める。

第一印象は、こうだ。

なんだか毎日のように
会社をサボってる石川くんだ!
貸本屋から借りたえっちな小説を
ノートに書き写すために夜ふかしして、
次の日は会社を休んだりとか!
給料を前借りばかりしてるくせに、
よくもまあそんなにサボれるなあと感心しちゃう!
石川くんはそのころ東京に「単身上京」していて、
函館に妻と子と老いた母を残してきてるわけだけど、
ほとんどまったく仕送りしてないっていうのも豪快!
ふところが少々あったかいと
プロの女の人といちゃいちゃしたり!
ろくに読めもしない洋書をふと買ってみたり!
またまた金がなくなって、
いつものように親友の金田一くんに金を借りたり!
度胸あるよね、石川くんて!
「鬼畜」って言われたことない!? (第5回)

 

ツッコミを入れることも忘れてしまったかのように、枡野は啄木の悪行を片っ端からあげつらい、最後に思わず「鬼畜」という言葉が口をついて出てしまう。

そして数回後には、

石川くんのことを「鬼畜」と言うのは、
なんだか鬼畜さんに申しわけない気がしてきたので、
これからは君みたいな男のことを
「石川くん」と呼ぼうと思う。
読者の皆さんもぜひ、流行らせてくださいね。 (第8回)

 

と「鬼畜」という言葉さえも撤回している。

このあたり、啄木の放埓ぶりを目の当たりにして、枡野が完全に引いているのがわかって、面白い。

 

僕の想像だが、「石川くん」はもともと、DJマスノが要所要所でツッコミを入れたりしながら、読者と一緒に啄木のことを楽しく学んでいこう、というコンセプトだったのではないだろうか。

けれど、なんというか、枡野が思った以上に啄木は強敵だった。

 

しかし、枡野もそれくらいでは引き下がらない。

なぜなら、それでも女性にモテて、歌人としても名を残した啄木のことが「同世代として」許せないからだ。

啄木に驚き、あきれ、しつこいほどに憎まれ口を叩き、勝てそうなところを探しては、ひたむきに張り合う。

 

それは、枡野が急速に、啄木に惹かれていった、ということだ。

 

なんか読者の皆さんの中にも、
この連載の目的を
「石川くんをあの手この手でいじめていくこと」
だとカンチガイしてる人がいるみたいなんですが、
全然ちがいますからね。
この連載の真の目的は、
「石川くんの素敵な歌を人々に紹介していくこと」
です。
ほんとよ。
今まで紹介してきた歌は全部、
私の好きな歌ばかりです。
はっきり言って、
私、
石川くんのことが、
好きなの……。
好きすぎて、つい意地悪しちゃうこともあるけれど、
そんな屈折した男心、文学者だったらわかってね!! (第19回)

 

「連載の真の目的」を説明しようとして、つい、枡野は告白してしまう。

結局、そうなってしまった、のだ。

 

一度「好き」と言ったら、その瞬間にすべてはラブレターになってしまう。

 

最終回で、枡野は『弓町より』を読み、こう感想を綴っている。

若いころは自らを「天才」の「詩人」だと信じ、
美しすぎる言葉で詩を書いていた石川くん。
だけど結婚したり転職を重ねたりして、だんだん、
もっと地に足のついた詩を書かなくちゃ駄目だって
考えるようになるんだよね。
それは、
〈珍味ないしはご馳走ではなく、
我々の日常の食事の香(こう)の物の如(ごと)く、
(しか)く我々に「必要」な詩という事である〉、
〈我々の要求する詩は、
現在の日本に生活し、現在の日本語を用い、
現在の日本を了解しているところの
日本人によって歌われた詩でなければならぬ〉、と。
つまり、
現実逃避みたく昔風の言葉づかいで詩を書く詩人を、
石川くんは否定したくなった。
それは結局、
かつての自分自身の否定だったんでしょう?
そして石川くんは、
さりげない言葉で、さりげない短歌をつくった。
それってすごいことだったんだと、やっぱり思うよ。

 

『弓町より』は、口語詩への批判に答えながら、啄木が「あるべき詩」について考察した名文だが、それが「かつての自分自身の否定」だと言った枡野の指摘は、鋭い。

 

「現在の日本語で、現在の生活を詠う」というのは、ちょうど枡野が『かんたん短歌の作り方』などで唱えたことと同じものだ。

 

思えば啄木も、新詩社に参加し、後にスバル創刊に携わったが、結局メンバーになじめず、どちらも脱退している。

 

二人は、似たもの同士だったのかもしれない。

 

もしも石川くんの歌の悪口をだれかが言いだしたら、
枡野浩一がゆるさない。
石川くんの悪口を言っていいのは、
石川くんのことをだれよりも理解し愛している、
この私だけだもの。 (第26回)

 

啄木の悪口を言えるのは自分だけだというのは、愛以外のなんであろうか。

 

 *

 

この連載はまもなく「ほぼ日ブックス」の一冊として単行本化され、文庫にもなった。朝倉世界一氏の描き下ろしイラストが多数、それから巻末には枡野が編んだ「石川くん年譜」が収録されている。

この年譜が、かなり詳しく、読み物として相当面白い。行く先々で「石川くん」がトラブルを起こしていたことがよくわかる。

「石川くん年譜」だけでも本書を買う価値はある、と言っていいだろう。

 

一方、ウェブには、全26回の記事の他に「番外編」として「単行本には書けなかったあとがき」などが公開されているので、興味がある方はぜひ上にも貼ったリンクもご覧いただきたい。

 

最後に余談。本書はkindle版も出ているが、啄木の「啄」の字を、新字体ではなく、すべてきっちり旧字体(「豕」の真ん中に点があるほう)に統一してある。こういうところも、枡野らしいこだわりで、僕はとても好きだ。