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短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第30回 田中登、松村雄二編『戦後和歌研究者列伝―うたに魅せられた人びと』

研究者でたどる和歌史  堂園昌彦

戦後和歌研究者列伝―うたに魅せられた人びと

戦後和歌研究者列伝―うたに魅せられた人びと

 

 こんにちは、堂園です。

 

最近、いろんな人から「堂園さんの記事だけ毎回毎回長すぎる、他の人は簡潔なのにどうなってんの、いいかげんにして」と言われました。

 

うう、たしかに。なので、今回は短めにしたいと思います。がんばろうと思います。がんばります。

 

はい。で、今回やるのは、『戦後和歌研究者列伝―うたに魅せられた人びと』です。2006年に笠間書院から出版されています。

 

この本、どういう本かと言うと、戦後の和歌研究史を、研究者の列伝形式で振り返っていく本です。列伝形式って馴染みのない方もいるかもしれませんが、つまり、和歌の研究者をひとりひとりピックアップしていって、その人について語る、というやつです。『70年代日本のロック100』、『知っておきたい21世紀の映画監督100』みたいな感じですね。

 

まあ、もっと簡単に言えば、『現代短歌の鑑賞101』や『現代の短歌』の和歌研究者ヴァージョンをイメージしてもらえればいいんじゃないかと思います。

 

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

 

 

現代の短歌 (講談社学術文庫)

現代の短歌 (講談社学術文庫)

 

 

 

和歌の研究そのものをたどっていくのではなく、研究者をたどる。はい、かなりマニアックですね。「あー、今回俺には関係ないや」と思った読者の方も多いかもしれません。

 

しかし、これがおもしろいんです。和歌は要するに外国語ですから、この解釈史をたどることが、すなわち現在私たちがイメージする「和歌」が成り立つ経緯そのものになってきます。

 

この研究者史を体感的にでも理解することが、どんなジャンルでも研究者の第一歩なのですが、さすがに素人としてはめんどくさいので、仏文でも露文でも独文でも、こういう本があったらいいのにな、と思いました。

 

正直、私も和歌に関する知識がほとんどないので(永井さん的に言えば、私も「『ながめ』が『長雨』にかかっていると言われても『はあ』という感じ」です)、わからない部分もとても多かったのですが、それでも、重要な研究者の名前だとか、研究書の名前だとかがバンバン出てくるので、和歌の世界へ分け入っていくための地図を拾ったような、そんな気がしています。

 

 *

 

この本で取り上げられてる研究者の人たちを何人か紹介します。

 

まず、萩谷朴(はぎたに・ぼく)。『平安朝歌合大成』を書いた国文学者です。

 

平安期の歌合は、この人によって全貌をあばかれたと言っても過言ではありません。

 

和歌の伝承は、家集や勅撰集といった和歌作品が沢山載っている作品集が基本です。しかし、現在の私たちが知っているように、和歌というのはそうした文字にしたためられて流通するだけではなく、歌会や歌合といったイベント事でも盛んに取り扱われていました。「座の文芸」ってやつです。

 

平安時代もしょっちゅう歌会やってたらしいのです。しかし、そんな沢山開催されていた歌会ですが、古典和歌の時代の歌会の記録ってほとんど残っていないらしいんですね。少しだけは見つかっているみたいなんですが、ほとんどは長い間に散逸してしまっていて、歌会の伝存率は0.1%にも満たないそうです。

 

ひるがえって、歌合の記録は大変良く残っているそうです。それは、それまでにあったほとんどの歌合の伝本を収集して、叢書とする国家プロジェクト的な企画が平安時代に二度あったおかげなんだそうです。それは「十巻本類聚歌合」と、そのヴァージョンアップ版である「二十巻本類聚歌合」にまとめられています。

 

で、長い間知られていなかった、この「二十巻本類聚歌合」を発見したのが、萩谷朴さんなんですね。

 

この発見のエピソードがかなりドラマチックです。

 

昭和13年(1938年)、当時、東京帝国大学国文科2年だった萩谷は、授業で歌合に興味を覚え、夏休みに実家の大阪に帰省した際に関西のいろんな文庫(国文学資料がたくさん収集されてる施設)で歌合の資料を調査してみることにしました。

 

で、京都大学の未整理の文庫でとある巻物を読んでいると、これまで全く記録に残っていない歌合が次から次に出てきます。しかも全部平安時代の墨跡です。なんだこれは、と萩谷さん、目を白黒させます。たまたま見つけてしまったんですね、いままで発見されていなかった「二十巻本類聚歌合」を。

 

かなりヤバい発見です。これ、恐竜学者がイグアノドンの歯を掘り出したとか、天文学者冥王星を観測したとか、ビートルズの未発表のアルバムが見つかったとか、そんな感じのインパクトですよね。たぶん。

 

萩谷はテンションが上がりまくり、急いで東京に戻ると、指導教官の池田亀鑑(きかん)に報告します。即座にその意味を理解した池田は萩谷とふたりで手を取り合って、狂喜します。

 

で、ふたりはめっちゃ喜んで、萩谷は世間にこの大発見を発表するべく、せっせと準備をしていたのですが、そこに驚くようなことが起こります。なんと、萩谷の話を聞いた、当時注目株の京大の若手研究者堀部正二(ほりべ・せいじ)26歳が、「新資料発見」と先に発表してしまったのです。

 

堀部はまず岩波書店の雑誌『文学』の昭和14年1月号に、次号に論文を載せると予告します。萩谷と池田はそれを見てあおざめます。先を越されまいと急ピッチで論文を完成させ、堀部の論文が載った雑誌が出るよりも前に、両者連名で『短歌研究』昭和14年2月号に発表しました。

 

おお、われらが『短歌研究』が意外なところで出てきました。この論文は萩谷と池田の連名で出されましたが、実質萩谷が1人で書いていて、急ピッチで書いたにも関わらず独力で「二十巻本類聚歌合」を歴史に位置づける、実に精緻なものだったようです。しかもこのとき萩谷は大学2年生・22歳ですからね。国文学勉強し始めてわずか2年、おそろしい……。「もちろん当時の帝大生の学力・集中力を現在の大学生と比べるのは馬鹿げているのであるが……」とこの萩谷の項を書いている浅田徹さんも言っていますが。この萩谷の論文のおかげで、この号の『短歌研究』は2倍近い厚さになったそうです。

 

今度は堀部のほうがあおざめます。堀部は堀部で、『文学』2月号で前ふりをしてから、京都帝大の雑誌『国語・国文』で全貌をゆっくり丁寧に発表する心づもりだったのですが、その計画がめちゃくちゃです。怒りつつも、堀部は発表を遅らせ、萩谷よりもさらに精緻な論文を書き『国語・国文』に掲載し、萩谷の考証を批判します。

 

さっきも書いたように、知識と経験がものを言う国文学の世界で、ふたりは弱冠22歳と26歳です。この天才ふたりのバトルが、平安時代の歌合の研究を一気に成熟させます。

 

ただ、軍配は一日の長がある堀部のほうに上がります。それとは別に、この事件は関係者の辞職をうながすトラブルに発展し、萩谷は苦汁を嘗めさせられます。後年、萩谷は「つくづく成人の醜い世界が嫌になり、一時は、大陸へでも渡ってしまおうかとさえ思った」とコメントしています。

 

堀部はその後「二十巻本類聚歌合」を含む京大寄託の近衛家蔵書の調査責任者となり、さらに研究を進め『簒輯類聚歌合(さんしゅうるいじゅううたあわせ)とその研究』という本を完成させました。昭和18年のことです。

 

しかし、ここで時代が2人の運命を変えてしまいます。太平洋戦争が激化し、2人は戦地に召集されてしまうのです。

 

堀部は『簒輯類聚歌合とその研究』の出版を知人に託して出征。同書は昭和20年2月に刊行されましたが、なんと、堀部はその刊行を目にする前に、中国にて戦死を遂げてしまいます。今でも、この天才堀部が戦争で死ななかったら、その後どれほど素晴しい研究をしていただろうか、という声が多いようです。

 

対して、萩谷は二度にわたり徴兵され、スマトラで病を得ますが、なんとか生きて帰ってきます。復員後、萩谷は師の池田の斡旋で『土佐日記』の注釈などをし、その高水準の仕事でふたたび学界の注目を集め、ついに昭和32年にこれまでの「十巻本類聚歌合」「二十巻本類聚歌合」への研究をまとめた、『平安朝歌合大成』を刊行します。

 

こうして、奇妙なめぐり合わせで、萩谷は若いころの自らの発見を結実させることができました。

 

『平安朝歌合大成』はかなりすごい本で、さっきも書いたように、平安時代の歌合のほとんどが掲載されてますから、ほとんどの歌人が載っているということでもあります。今でも、研究者は、知らない歌人の名前が出てくると、まずはこの『平安朝歌合大成』に当たるそうです。

 

もっと言えば、歌合は平安期に隆盛し、鎌倉期初期まで行われていたのですが、その後は衰退し、江戸後期になるまで復活しないんですね。だから、この『平安朝歌合大成』は歌合史の主要な部分をほぼ網羅しているのです。あと、「この題詠の題はこの頃に流行ったから、推定年代はこのくらい」みたいな、「題詠史」という画期的な観点を発明したのも、この『平安朝歌合大成』です。

 

と、この萩谷朴さんのエピソードはかなり面白かったです。萩谷さんだけではなく和歌研究者って、めちゃめちゃ頭いい人たちが、非常に地味な研究を、時代に翻弄されながら(主に戦争など)、血反吐を吐いてこつこつ地道に続けるというパターンが多く、なんかすげえなあというか、頭が下がることが多かったです。

 

 

げ、もう長くなってきた。あとひとりだけ紹介します。中世和歌史研究の藤平春男(ふじひら・はるお)です。

 

この人は、「歌論」に対する考え方が興味深かったですねー。

 

藤平さん曰く、歌論を書いた歌人は、それまでの和歌を継承できずに、定型の伝統と格闘した者である、ということです。

 

古典和歌時代の「歌論」は、一般的には歌をうまく詠むための技法を書いたもの、いわゆるハウツー的なものとみなされます。私なんかもそう思ってたんですが、まあ、保守的なものとみなされがちなんですね。もちろんそういった側面もあるんですが、藤平さんは、むしろ伝統をそのまま継承できない歌人が自らの原点を探ろうとして書いたものが「歌論」である、という見方をしているのです。

 

つまり、アヴァンギャルド歌人ほど歌論を書いた、ということですね。

 

これ、かなり面白いです。ということは、歌論を書いた歌人を追っていけば、その時々に和歌のイデオロギーが変わった瞬間を追いかけることができるということになります。もちろん、全員が全員そうではないのだろうけれど、歌人のプロフィールを見て「歌論」とあったら、ここで和歌のイデオロギーがちょっと変わったんだな、と捉えることができる。つまり、その変遷がわかれば自分なりの「和歌史」が理解できる、ということです。

 

まあ、この本ではそこまでは言ってないのですが、「歌論」というとっつきにくいものに新しいアプローチを示してもらったようで、私は、ほう、と思いました。

 

 *

他にも色々面白い研究者がいるのですが、今回はこのくらいにしておきます。

 

実績のあるえらい先生の業績を後進の研究者が紹介するという体裁上、なんかお世辞っぽい文章がずらずら続いたりして(いちおう、直接の弟子筋は避けられてるみたいですが)、そういうのはうんざりしなくもなかったんですけど、それでも、あー、和歌研究の世界には、こんなに知識と情熱と頭の良さと根気強さを持った人々が、山脈のようにいるんだなあと感じることは、なかなかおもしろかったです。

 

ただ、まあ、私も和歌に関する知識は皆無ですし、かなりコアな記述が多いので、全部興味を持てたかといわれれば、そんなことないですが。個人的には塚本邦雄経由じゃない和歌の読みかたを知りたいと思ってまして、そのためのブックガイドとして活かしていきたいな、とかそんなことを思いました。こっから本を探っていけばいいのかな、と。

 

マニアな本なのは確かですが、静かにアツい本でした。

 

しかし、久曾神昇(きゅうそじん・ひたく)とか、犬養廉(いぬかい・きよし)とか、樋口芳麻呂(ひぐち・よしまろ)とか、かっこいい名前が多かったな。和歌研究者は。

 

それでは。