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短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第42回 齋藤史『齋藤史歌文集』

エッセイ 永井

永井祐

こんにちは。

今日は齋藤史『齋藤史歌文集』をやってみます。

 

斎藤史歌文集 (講談社文芸文庫)

斎藤史歌文集 (講談社文芸文庫)

 

 

講談社文芸文庫なので入手はしやすいです。

本の前半三分の一くらいは齋藤史の短歌のアンソロジー、残り三分の二は随筆等の散文作品から選りすぐったもの、という構成になっています。

齋藤史は、わたしはいちおうちょっと読んではいたのですが、ずっとそれほど熱心な読者ではありませんでした。

でも、何年か前から昭和の初頭・戦前期の短歌が気になるようになりました。

『新風十人』というアンソロジーに代表されるのですが、この頃の歌集は名作が多いのです。

佐藤佐太郎『歩道』、前川佐美雄『植物祭』とか、わたしは好きなものが多い。

その流れで齋藤史『魚歌』を読み返してみると、この時代の歌の自由さとはかなさみたいなものがやっぱり通底しているように思えて、あらためて好きな歌集の一つになったのでした。

『魚歌』の頭からさっと引きます。

 

アクロバティクの踊り子たちは水の中で白い蛭になる夢ばかり見き

 

飾られるシヨウ・ウインドウの花花はどうせ消えちやうパステルで描く

 

フランスの租界は庭もかいだんも窓も小部屋もあんずのさかり

 

夜毎(よるごと)に月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ

 

佐太郎、佐美雄、史ですでに、このへんの世代の人はすごいなと思うのですが、

新人だけでなく、

斎藤茂吉が後期の文体を確立してくるのも昭和9年の『白桃』くらいからだったり、

土屋文明が本格化してくるのもこのへんからだったり、

近代以来の短歌史の中でも、一つの作品的なピークがきているようにわたしは思えます。

この頃の歌集は一般的な評価も高いんですけど、

それはやっぱり迫ってくる戦争への緊張感が反映している、みたいに説明されることが多いですね。

それが妥当なのかはちょっとわかりかねるところもあるのですが、でもこの時代の短歌には独特のひりひり感があるように思います。それは明治大正の歌とは違う。それはたとえば『桐の花』と『魚歌』の違いであり、『赤光』と『歩道』の違いです。おおざっぱな話ではあるけれど、時代の空気の違いはなんとなくわたしでもわかる。

 

では、とりあえず読んでいきましょう。

齋藤史の文章は、なんだろう、きびきびしてて調子よく読めます。

それでなにより、話題が豊富です。

若い頃から色んな場所で暮らしてきて、戦前の銀座で遊んだ話もあれば、戦争時の疎開先で言葉がわからなくて苦労したという話も出てきます。

冒頭は「ちゃぼ交遊記」という、八十代のおばあさんになってからのエッセイです。

 

隣で住んでいる娘夫婦が、ちゃぼを二羽もらってきたところからはじまります。

 

もともと動物は大好きなのである。むかし父が軍人であったから、家には別棟に馬屋があり、馬がいた。兎も飼ったし、モルモットも飼った。居着いてしまった猫も飼ったことがあるし、犬はもちろん。

 

このように何かと経験値が高い。

 

しかし歳をとってからは、動物は飼うまいと決めていた。飼主が逝ってしまったあとの、生きものの哀れさも見て来たし、買い慣れたものに死なれたあとの悲しさもやりきれない。

 

なので色々思慮深い

 

生きものがくらしの中に加わるというのは、何となく心賑やかなもので、わたくしもペンを置いてはたびたび覗きにゆく。

 

しかしけっきょく、動物が来てうきうきしている。

そして、愛するものに死なれる悲しみをよく知っている齋藤さんが「ちゃぼ」にうきうきできるのは、次のような計算によるのでした。

 

しかし今度は娘達が飼うのだし、鶏ならば、猫や犬ほど人間と密接な関係にはならないだろう―とたかをくくったわけである。

 

わたしはこの一文が、ちょっとした「人の悪さ」を感じて好きでした。

鶏ならそこまで情が移らないし、自分は直接の飼主ではない。その二重のセーフティネットがあるなら、鶏と遊びまくっていざ死なれても、こちらの感情的リスクは最小限にとどめられる。

齋藤さんはそういう計算ができる人なのでした。

けれど、八十代のおばあさんならば、ふつうこのぐらいのことを心の中の言葉にして考えるのかな。おばあさん界の感情マネジメントの相場はわかりません。

 

「むかし―銀座」

 

 日比谷か有楽町で映画をみて、銀座でお茶を―というのが、いつものコースであった。日比谷映画劇場が開館をしたときは、真紅なじゅうたんを入口から敷き詰めて、たぶん映画館としては始めての豪華さ。それを踏むだけで、心はスクリーンに入ってゆくようであった。五十銭玉ひとつで、外国映画がたのしめた時代である。

 

行きつけの店の二階、窓側の席が運よくあいていれば、ことにごきげん。―眼の下の舗道をゆく人達を見おろしてのむお茶。

見られていることを知らない人々が、さまざまな服装で、さまざまな組合せで、通りすぎてゆく―かかわりのないことの気楽さ。もすこし人の悪い言い方をすれば、こちらが見られていないことの気楽さである。五階の十階のという距離ではこういかない。下をゆく人々との縁が切れすぎて、人間の匂いがしなくなる。

  

おみやげに買うのは、たいていコロンバンの木の葉型パイ。甘いケーキはそれはそれで悪くもないけれども、私達の仲間はパイ党が多かった。女の友達と二人、フランスの映画を見て(おおルイ・ジューヴェよ、アルレッティよ、モーリス・シヴァリエよ、フランソワーズ・ロゼエよ、ジャン・ギャバンよ)

 

なんか、たいそう楽しそうですよね。

もちろん、今の銀座に行っても映画みてお茶してパイを買って帰ることはできますが、齋藤さんと同じ経験はできないだろうなと思わされる。

ダンガールを満喫してたみたいな書きぶりですけど、ご自身はほんとにそんなにイケてたんですかね。おばあちゃん話盛ってるんじゃないかという気すらちょっとしてくるんですが。

かと思うと、空襲の恐ろしい話もでてきます。

 

―今日の空襲は、どの方面へ来るらしい―とだれとなく言うと、その通りにあたる。べつに予言をするわけではなく、まだ焼けていない場所を順にあげてゆくだけのことであった。

焼夷弾が夜空にばら撒かれ、落ちて来る間、距離を見定めている者にとって、じりじりするような時間がある。それが一度闇に沈んだのち、やがてその場所から、赤黒い火の手が逆に空に向いて吹き上がりはじめる。

 

 

これは東京での空襲の経験です。

ひどくなってきたので一家で長野県へと疎開します。新宿から中央線に乗って。

 

プラットホームに列を作って並んでいる間にも警報が出る。しかしその度に待避していては汽車に乗れないから、だれ一人動く者はいない。何時の汽車にのれるか、いつ目的地に着くかは向こうまかせ。子供たちの小さいリュックにも、それぞれいささかの食べ物、小さい水飲みコップ、手ぬぐい、ちりがみ、一本のろうそくとマッチと箸にスプーン。三角布の類。書けるものには全部住所氏名年齢。血液型まで彫りこんだ認識票は各人膚に着けている。

 

印象に残ったのは、八月十五日の話。

齋藤史は疎開先の長野の村で、いわゆる玉音放送を聞きます。

 

だれもひとことも言わなかった。激しい表情も見せなかった。半信半疑のところもあったが、大体に都会人のように軽率な反応は示さない。―わたくしにしても、かねてこのような時のことを考えたほどは悲しくなかった。しかし胸の底の方は冷えて重かった。おたがいの顔は見ないようにして、わたくしたちはまた畑へ戻ってゆき、ふだんと同じように働いた。

 

夕方、例のように道具を片付け、井戸端で足を洗い、部屋の一つだけの電灯の覆いをはずしてから点けた。

思いがけないところまで灯火の裾がひろがって、部屋の中のかげが減った。初めて出会った室内のように眺め回した。開いている戸口から伸びた光が土にとどいていて、そこの雑草に当たっている。草の色は昼間の直射日光の下の緑よりも黄色をおびて(当時はけい光灯ではない)若草のようにやわらかく、明暗を刻んで見えた。うつくしかった。

取りかかった食事の支度はいつもの通り乏しい。何からどのように変化してゆくのだろうか。今のところわたくしのしたことは電灯の覆いを取っただけである。この先はどうなってゆくことか―ます、黙って世の中の動きを見ていよう―。

 

 

引用の二つ目の文章のところだけ、ちょっと文体が違うというか、敗戦の日という大きなことと合わされると、描写がすごく暗示的に見えて、それが印象に残りました。

重たく受け止めているんだけど、一種の新生みたいなニュアンスが感じられる気がします。

 

齋藤史と同年生まれの佐藤佐太郎は、「昭和二十年八月十五日、家族とともに茨城県平潟町にあり」という詞書のついた「晩夏光」という一連の短歌を残しています。

そこから抜粋。

 

かすかなる民の一人とつつしみて御声のまへに涙しながる

 

おほみこと宣(のら)せたまへば額(ぬか)ふせるいのちの上にみこゑひびかふ

 

こゑひびく勅(みこと)のまにまうつしみの四肢ことごとく浄からんとす

 

まさに玉音放送を聞いている歌です。

で、こんなこと言える筋合いでもないのかもしれませんが、僕はこの歌に引いてしまうんですよね。とくに三首目の下句、「四肢ことごとく浄からんとす」。

佐藤佐太郎は好きだし、戦前の『歩道』が好きだし、シャープでクールだった佐太郎がまじか・・・という思いがちょっとしてしまう。

歌人たちが残した戦時詠、戦争協力歌と言われるものには、もう少し儀礼的なトーンもあるし、あまり生々しく引くことはないんですが、これは号泣しながらまじで言ってるなという感じがあって、ちょっと。

比べると齋藤史の散文のトーンは、共感とまではいかなくても、わからないとは感じない。まあ、こちらは戦後ずっと経ってから思い出して書いているものですからね。佐太郎のほうはリアルタイムでしょう。

それで、共感したり引いたりできるのは、やはり齋藤史とか佐藤佐太郎の『新風十人』ぐらいの世代の人というのは、北原白秋とか若山牧水とか明治大正に青春をすごした人たちとは明らかに違って、ずっとわたしたちに近いからなんでしょうね。当たり前といえば当たり前のことですが、あらためて思います。

 

巻末には「おやじとわたし―二・二六事件余談」という、昭和54年にNHKのラジオで語った談話が収録されています。

齋藤史の父親・齋藤瀏は軍人で、二・二六事件の裁判において「反乱を利す」とされ、禁錮五年となっています。

「おやじとわたし」はけっこう長く、そのときどきのディティールや気持ちなどが細かく話されています。

(直接関係ないですけど、人前で自分の父親の話をするとき、「おやじ」って言うんですね・・)

これはやり出すと長いので今回はここまでにしましょう。

 

この本は、とにかく色んな経験をしてきてウィットに富んだおばあさんの話集、という感じがしました。けっこう読みやすいです。

 

ではまた。