短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第57回 玉城徹『近代短歌とその源流ー白秋牧水まで』

大森静佳

 

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こんにちは、京都の大森静佳です。

今回、ゲストとして短歌のピーナツに呼んでいただきました。

 

取り上げる本は玉城徹『近代短歌とその源流―白秋牧水まで』。迷いに迷って決めました。なんだか小難しそうなタイトルですが、一冊を貫いているテーマはいたってシンプル。それは「近代短歌をアララギ VS 明星という対立軸で考えるのはもうやめにしようじゃないか」ということなのです。

 

伊藤左千夫、島木赤彦、齋藤茂吉らアララギ派と、与謝野鉄幹・晶子らの明星派。前者は「写生」「リアリズム」「万葉調」などを掲げて、感情を抑えつつ自己の冷徹な視線というものを深く掘り下げて物の本質に迫ろうとし、後者は自我を開放して恋や憧れの高揚感を高らかにうたいあげました。

 

ただ、もっと大きな視点で見れば、アララギも明星も「自我」の確立という近代のテーマに寄り添う流れであったという点では同じだということです。同じというか、一枚のコインの裏と表。

 

だから、アララギと明星の対立軸ではなくて、「自我」の詩VSそうではないもの=若山牧水北原白秋という対立軸で考えてみたらどうか。という話が、この本には書いてあります。

 

第1部には白秋についての小論が7つと牧水についての小論が6つ、第2部には「短歌を読むことと作ること」「言葉で作るということ」などと題された、必ずしも白秋や牧水についての話ではない講演録が3本おさめられています。いずれも初出は1980〜90年代。

 

玉城徹は、一冊全体としての結論や答えのようなものはあえて書かなかった。でも、ひとつひとつの断章の主張がはっきりしているので、『近代短歌とその源流』というタイトルの印象ほどには難しくありません。

 

1908年(明治41年) 牧水『海の声』刊行

1913年(大正2年) 白秋『桐の花』刊行

 

では、近代短歌史において、白秋と牧水はどんな点で独自だったのか。どんなところが新鮮だったのか。

 

まず、白秋についての断章を読んでいきましょう。ちなみに、玉城徹は中学生のときに白秋が主宰する「多摩」に入会していますが、白秋はそのわずか三年後に死去したため、そんなに関係を深める時間もなく、実質的には「師事」ではなく「私淑」のようなものだったと言っています。

 

(改作前)

雪しろき朝の舗石さくさくと林檎噛みつつゆくは誰が子ぞ/明治45年1月「朱欒」

(改作後)

君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 

 

『桐の花』を代表する名歌ですが、改作前はこんな歌だったんですね。林檎を齧りながら誰かが鋪石を歩いていった、そういう現実の景を見つめている作者。白い雪。赤い林檎。それぞれがくっきりと個人的に目撃した現実としてうたわれています。

 

それが、改作後はどうでしょうか。逢瀬の後に「君」を帰すという寂しい背景を導きながら、何といっても下句「雪よ林檎の香のごとくふれ」がやっぱり新鮮です。改作前には別々のものとして存在していた現実の「雪」と「林檎」が、改作後では詩として豊かに混ざり合っている感じ。

 

玉城徹はこんなふうに解説しています。

 

個人の感受した現実のモチーフを排除して、より普遍な、いわば〈叙情〉の常数から、新しい言葉を発見する過程に他ならなかった。(中略)それまでに前例を見ない、心の世界の言葉を創出することに成功している。

 

「心の世界の言葉」。なるほど「雪よ林檎の香のごとくふれ」は確かにそういう感じがします。ここで登場する「普遍」という言葉も、この本のキーワードになってきます。個人的な「自我」ではなく、もっと詩としての「普遍」へ到達する、ということ。

 

また、別の章ではこんなことを言っています。

 

『桐の花』はじつにおかしな歌集なのだ。根本的に分らぬところがある。『桐の花』と『赤光』とどちらが面白いか、どちらにより意味があるかなどという問い方はくだらないことで、わたしには興味がないが、「わからなさ」の点では『桐の花』の方が、はるかに強度である。(中略)わが近代文学者諸氏の大好きな「自我」とやらとは無縁のところに、彼は「世界」を設置する。

 

「わが近代文学者諸氏の大好きな「自我」とやら」なんていう皮肉っぽい言い回しがたまりません。いかにも玉城徹。痛快です。

 

病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黃なる月の出

あまつさへキャベツかがやく畑遠く郵便脚夫疲れくる見ゆ

 

同じく『桐の花』から。玉城徹はこうした歌について、「自我」とは無縁のところに「世界」を設置している、と言うのです。それは小説的と言い換えてもいいかもしれません。月夜にハモニカを吹く子どももキャベツ畑をやってくる郵便脚夫も、どこか小説の登場人物めいた感じがしませんか。「われ」の内面に視点があるのではなく、いわば神の視点から見た世界の、小説のような味わい。

 

『桐の花』が「じつにおかしな歌集」であることの理由について、玉城徹はこんなふうに自答しています。

 

 理由はただ一つである。それは自然発生的でないのである。自然な作者の生の根拠から直接に生い出た感じを、これくらい持たない歌集は珍しい。いかにも素朴に歌っているように見える場合でも、その前に「一跳び」がある。(中略)『赤光』の歌の中に茂吉がいるようには、『桐の花』の歌論に白秋は存在していない。

 

 

要するに、『桐の花』(ただし「哀傷篇」を除く)は自然発生的な感情や個人の「心」から離れたところにあって、「自我」の告白ではなく、もっと普遍の言葉を求めた。それも、白秋はみずからの意志的な選択でそうした。「自我」を重視した近代短歌の歴史において、そこが新しかったのだと、そんなふうに玉城徹は言っているんですね。

 

次に、牧水について言っていることもさらっと見てみましょう。

 

昼の浜思ひほうけしまろび寝にづんとひびきて白浪あがる  『砂丘』(大正4年)

 

こうした牧水の歌には自然な「感情の解放」がある、と言っています。明星派は与謝野晶子に代表されるように、普通のひとびとの自然な感情というよりもどこか特別な世界の特別な恋愛をうたっていたし、アララギ派は万葉調などの形式を大切にするあまり「自然な」感情がうまくうたえなかった。そんななか、牧水の作風がどれほど新鮮に響いたか。

 

この「白浪」は、近代的な個人意識の対象としての自然、すなわち、自己感情の対応物としての自然なとは根本的に異なった何ものかである。それは、「宇宙」の間にあって、永遠に立ちさわいでいる「白浪」である。

 

個人の感情以前の深いところ(これを玉城徹は「感情の0度」という言葉で表現しました)で、永遠に立ちさわぐ「白浪」。なんてかっこいい。「宇宙」とか「永遠」とかやたら抽象的ですが、要するに詩的普遍がある、ということでしょうか。

 

牧水の歌については、永井さんの第38回篠弘『近代短歌論争史明治大正編』でも紹介されていた通り、アララギ派からのかなり辛辣な批判がありました。それは牧水の歌があまりにも淡く、散漫で、「虚した」ものだという批判なのですが、牧水の歌の特色として「自我」の解放があるとしたら、「自我」を起点として短歌という型を掘り下げていったアララギのひとびとにとってそれが「虚した」歌に見える、というのはある意味当然のことかもしれません。

 

個人的な「自我」から爽やかに解放されたところで、宇宙レベル、民族レベルの大きな「あはれ」と憂鬱を引き出し、詩的普遍を追求した。それが、玉城徹がこの本で白秋と牧水に注目した理由です。

 

正岡子規与謝野鉄幹らが活動した近代短歌啓蒙期から、過渡期として自然主義の試みがあって、さらに大正のはじめに白秋・牧水らによるモダニズムの流れが来た。白秋や牧水、あるいは前田夕暮らは、日本の近代文芸史では「反自然派」「新ロマン派」などと呼ばれるが、実はもっと世界的なモダニズムの文脈のなかに位置づけられる動きだったのではないか。やや話が大きくなりますが、玉城徹の見取り図というのはこんな感じらしいです。

 

「自我」の近代短歌VS「自我」解放の白秋・牧水。この構図はとてもわかりやすい。わかりやすすぎてちょっと警戒してしまう部分もあるのですが、それでも、相変わらず「自我」というものに深く根ざしているように見える現在の短歌を考えるとき、大いにヒントになることは間違いないでしょう。

 

***

第2部では、短歌に出てくる「過ぎる」という言葉に注目したところがとても斬新でした。いわゆる論理的な議論ではないのですが、こういう独自の切り口って楽しい。

 

珠藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ/柿本人麻呂

小椋池 淀八幡過ぎ しづかなる雨しみとほる 橋本の壁/釈迢空

葱ばたけ牛蒡ばたけをゆきすぎてさびしきものか陸稲(をかぼばたけ)は/若山牧水

 

3首ともどこどこを「過ぎる」という内容の歌です。こういうふうに、どこかを過ぎてどこかに近づくという言い方は、日本の文学に古くからある形なのだ、と玉城徹は力説します。

 

「過ぐ」ってのは肉体を持ったものが、どこかの場所を過ぎることです。この身体を持ったものが通過をするっていうことについて、私達は簡単に考えすぎているけども、これは重大な事なんです。そこから詩が生れて来た。後にこの過ぎるという言葉は、時が過ぎるあるいは風が過ぎる、あるいは人間のさかりが過ぎるような言葉が出て来ます。(中略)「過ぎ」るっていうことはある面で寂しいことであります。そこを人間が通過する。通過することによって、そこの物にある意味が与えられるが、それはたちまち自分の世界から失くなる、不在の物になる。

 

最近、『近代短歌とその源流』と並行して、今年のはじめに出た大辻隆弘さんの『景徳鎮』をゆっくり読んでいました。そうすると、一首一首に、透明な悲哀というものが短歌のしらべと溶け合って流れてきている、という感じがよくわかる。何か個人的な出来事のために悲しい、というんじゃなくて、肉体や精神の深いところが理由もなくしくしく痛むような感覚。感情以前のあはれ。

 

そこで、何となく『景徳鎮』から「過ぎる」という言葉が出てくる歌を拾ってみたら、驚くほどぞろぞろ出てきました。

 

雨の降るさびしき映画を見しことのありたる街と思ひつつ過ぐ

逝きにしをなべて親しとおもふあさ木立ダリアの花かげを過ぐ

いま窓を過ぎしは鵯(ひよ)かしらじらと梅咲く枝に影を落として

まだ夕といふには早く陽のひかりまばゆきなかに過ぐらむいのち

雲梯に身をぶらさげてゐたりけり壮(さだ)はや過ぎてゆかむわが身を

山茶花の花うすべにに散り敷けるそのかたはらを過ぎむとしたり

 

一部を引きました。自分がどこかを過ぎる、時間が過ぎる、さかりを過ぎる、など意味はさまざまですが、どれも「過ぎる」歌。現代の歌人のなかで、玉城徹の言う「「自我」と無縁の、感情以前の悲哀」をもっともよく表現しているひとりが大辻さんなのではないか、と思ってみたり。もちろん『景徳鎮』には父親の死を見つめた連作など具体的な悲しみの歌も収められてはいますが。

 

悲哀というけれども、いわゆる世の中で言う嘆き節の悲哀じゃあない。何かがあって悲しいわけではないのです。(中略)その悲哀をとおして、結局は人間が発見される、あるいは人間存在の意味が発見されるのです。あるいは悲哀をとおして人間の生命が浄化されると言ってもよい。(中略)そこにロマンチシズムから出発して、ロマンチシズムを超えてゆく、おそらくただ一つの具体的な行動が暗示されているのです。

 

ロマンチシズムから出発して、ロマンチシズムを超えてゆく。ここ、この本のなかで私が一番ぐっときたところです。

 

あまり細かくは挙げきれませんが、いっぽん芯がふとぶとと通っていてかっこいいだけでなく、全体としては、現歌壇に対する相当辛口の文句とか毒舌がいたるところで散りばめられ、読んでいてまったく飽きない一冊です。最近、全歌集も出ましたね。