第22回 塚本邦雄『夕暮の諧調』
永井祐
こんにちは。
もとは1971年刊(人文書院)、わたしが持っているのは88年刊の定本版になります。
塚本邦雄の最初の評論集です。
一発目とあって一編一編が濃くてあつく、「短歌考幻学」や坪野哲久論「われきらめかず」など、代表作も多数収録しています。
対象も和歌や現代俳句のほか、中世歌謡とか、さらにプルーストやブラッドベリなどの現代文学論まで入っていて、引き出しはかなり開けてきています。
が。
読み方にコツがあるような気がします。
具体的にはⅡ章の現代短歌論から読むことをおすすめします。
Ⅰ章はね、しょっぱなから、
大津よ、わが弟、わが恋ふる若き皇子よ。昔テーバイの王女アンティゴネは、埋葬を禁じられてゐた兄の屍体をみづからの手で敢えて葬り、王の怒りにふれて刑死したといふ。
こんな感じで、
古代王朝のドラマを、ギリシャ悲劇や聖書に言い及びながら手記の形で語るという、若干キモオタ風のコンテンツになっているので。
今日はⅡ章の「流觴」というエッセイをやりたいと思います。僕はすごく好きなやつです。
○
短歌で、初七調というものがあります。
五七五七七を七七五七七に変えてつくる、いわゆる破調の形になるわけですが、
塚本邦雄はこれを多用したことで有名な人です。じっさい、初七は塚本調というイメージは強いのです。
こんな感じ。
おおはるかなる沖には雪の降るものを胡椒こぼれしあかときの皿
馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり
すごく特徴的な韻律なんですけど、現代の短歌作者でも初七はやります。
この短歌のピーナツの執筆者である堂園昌彦さんもやります。
あなたは遠い被写体となりざわめきの王子駅へと太陽沈む
冷えた畳に心を押し付けているうちに想像力は夕焼けを呼ぶ
土岐友浩さんも、多い印象はありませんがやっぱり作っています。
夢のなかから目覚めたあなたが体温と体重を計っている朝よ
塚本さんはこの「流觴」というエッセイで、初七調の起源とその感受性について語っています。
内容に入りましょう。
戦前に活動していた「靑樫」という同人誌グループがあり、塚本さんは後年それを手に取って、本田一楊という作者に魅了されます。
私は後年、誌のバック・ナンバーを、西方のとある港市の古書店で発見し、その黄ばんだ頁の中で彼にめぐりあひ、その沈黙と共に別れた。出会ひはわざわひに似て、予測不能の時点で二つの魂を衝突させ、互みに、またそのいづれかに、ふかい痕跡をとどめるものである。
砲煙のあれは名もなき草のわたとびちれやちれ雄たけびのごと
いのちたとへばちりぬるきはも散る花の綺羅しづもりてあらばさやけみ
ひとりしてつむれる夜の青春の音たてて過ぐ神速なりし
たれかわれらの胸揺り歌ふいやはてのかなしみの日の若葉の歌を
(略)冒頭の「砲煙」の歌は、今日なほ私にとつて新しく、現代短歌にとつても新しいと言ひ得る。凡百の戦争詠、あまたのヴェトナム詠にもまして、私の心を刺し魂をうづかせる。「砲煙の」の「の」の一音の助詞に賭けた作者の心を、いたましいとさへ思ふ。「とびちれやちれ」とたたみかける霧の彼方の遠い絶叫に、私は作者の憤怒と悲傷を察したい。(略)「綺羅」の歌も、およそ日常的な意味や論理をもつてはゐない。だが、このこきざみに縺れあふ言葉のアラベスクには、戦争を目前にひかへた、あるいはすでにその渦中にあつた、当時の青年の不安な心情を、ただ韻律にこめて歌つた冴えとみだれが、たしかにある。
塚本さんはすごく感情移入して読んでいます。直接そうは言っていないんですけど、たぶんここには、世代的共感みたいなものがあるんだろうなと思います。不安な心を、具象性を持たない言葉と、「こきざみに縺れあふ」震える韻律にこめるという、その文体、超わかるよ! と言っているようにわたしは思えます。
そして本田作品がまたすごい、はかなくて、「冴えとみだれ」というのがよくわかるなと思いました。すこしくわしく見ましょう。
一首目、「草のわた」は秋の季語で草の穂の綿毛のこと。ここではやはり、はらわたがかかっているのでしょうか。「名もなき」も人を連想させます。秋の草原の景が、戦争の景にかかっているわけですね。そして「砲煙の」の「の」、これは文法的ななんと言っていいかわからない、微妙ですごく無理させた「の」のだと思います。そして「リズム考」でやったように、初句のあとの休止によって、「砲煙の、、」と少し間が空く。そのあたりがこの「の」に無限のニュアンスを与えていると思うんですよね。「「の」の一音の助詞に賭けた作者の心」というのはそのへんのことを言っているんだと思います。
二首目、上句は漢字にすれば「命たとえば散りぬる際も」だから、「死んでいくそのときであっても」くらいの意味でしょうか。「綺羅」は「美しい服、美しい姿」、「しずもる」は「静かに落ち着いていること」、「さやけし」が「明るいこと、清いこと」、「み」が「~なので、~だから」。「散っていく花であっても、その姿が静かに落ち着いていれば、美しいのだから」みたいな感じかな。すっごく観念的な歌ですけど、韻律が落ち着いていない、「こきざみに」震えているというのは、わかる気がします。
三首目、これも静かだけど激しい歌ですね。意味は、夜に一人で目をつむっていると青春が音を立てて過ぎ去っていった、神速であった、という感じでしょうか。青春というと、こんな歌を思い出すのですが、
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき 高野公彦
この青春とはまるで違っていて、本田の青春ってちょっとすごいですよね。音を立てて神速で過ぎる。それはおおらかなものでものんびりしたものでもないんだけど、青春の本質という気もします。「神」の一字にちびる。
それで、ようやく初七の話に。
初七調はもとより私の独創でも新発見でもない。思へばその再認識の契機こそ、本田一楊らとの出会ひにあつた。「たれかわれらの」の七音を、こころみに「たれかわが」の五音に改変した時、このゆらめく言葉の環は忽ち断ち切られて、単に感傷的な三十一音の謳ひ文句がのこされるのみである。初七は桂冠にして荊冠、歌の重さと豊かさを、予告すると同時に支へるべき、栄華と処罰を内包してゐるのだ。「綺羅」はその初七のゆゑに完全にうつくしい。
「桂冠にして荊冠」というのは桂冠=栄誉あるものであると同時に、「いばらの冠」、みずからを傷つけるものであり、受難と殉教の象徴であるという意味ですね。
エッセイはこのあと、「靑樫」のほかの同人作品の文体的工夫をみていきます。
塚本さんはここで、初七調というのは、戦前の若者たちの間である程度共有されていた、ヒップホップ風に言えば「流行りのフロウ」だったんだよ、ということを言いたいのかなと思います。もちろん初七だけに限らない、総体としての韻律的アプローチ、つまり文体と言い得るものだと思うんですけど。
そして初七に代表される当時の若者たちの文体っていうのは、迫ってくる戦争と破滅への恐れを背景とした、「冴えとみだれ」の危機の韻律だったんだという話だとわたしは受けとりました。
現在でも使われている初七の起源には、こういう感受性があったんですね。もちろん後から振り返ったただの一つの見方ではあるけれど、わたしはけっこう納得してしまった。このエッセイはとてもいいので、機会があればぜひ読んでみてください。
はんぱに余りました。
現代俳句論の中村草田男評がちょっと面白かったので、少し引用して終わろうと思います。
世界病むを語りつつ林檎裸となる 草田男
僕はこの作家の「純潔健康にして頽廃を知らず、稀有な青春の永続を持し、教養によって去勢されざるもの……神田秀夫」といつた風の馬鹿々々しい程晴朗な資質に、他処事ながら尠からず辟易してゐた。この一句にしろまるで俄造りの舞台の上の愛国の士のやうに大袈裟で空々しいではないか。<降る雪や明治は遠くなりにけり>と吟じながら彼の世界はいつまでも明治的、机上にはゲーテとニーチェ、音楽はバッハとベートーヴェン、花は菊といつた式の典型的な戦前派を連想するのだ。最近「短歌」十月の対談を見てもその発言一つ一つにこめられた自己肯定の強さは驚くべきであり、晴天の屋上の鯉幟のやうに鮮烈で空しい。
草田男が、たとへば<わが詩多産の夏来る>調の健康でなすすべ知らぬ、江木アナウンサーの代りにラジオ体操の指導でも買つて出たい、と言はぬばかりの、日本晴れの真夏の句を書ゐていた時…
塚本さんから見ると中村草田男ってこんな感じなんですね。ラジオ体操の指導でも買って出たいと言わぬばかりって。
「晴天の屋上の鯉幟のやうに鮮烈で空しい」もなかなかすごい。
毒舌の一方で強く興味を引かれていることもわかります。
では今日はこのあたりで。