第25回 安田純生『現代短歌のことば』
永井祐
こんにちは。
今日は、安田純生『現代短歌のことば』(邑書林)です。
1993年刊。
これは、文語に関するお話です。
近・現代の短歌で使われている文語が、そのベースとなっている平安時代の文語と
どのようにちがうのかっていうのを、こと細かに検証していく本です。
最初に言っておきますが、僕は文語文法とかに特にくわしくありません。
大学の入学試験で古典をやりましたが、それ以上専門にやったことはない。
だから活用とかも覚えてるわけじゃないです。
そんな人が読むわけだから、ハードルは低く構えてもらえるとうれしいです。
この本には、へえと思うことがたくさん書いてあります。
はじめの項からさっそく、
秋風の吹きにし日よりおとは山峰のこずゑもいろづきにけり 紀貫之
(略)
貫之の生きていた時代では、書きことばと話しことばとの間に、まったく同じとまではいえないにしても、それほど大きな違いはなかった。貫之は、人と話すときにも「吹きにし日」とか、「いろづきにけり」とかいっていたはずで、日常生活のなかでのことばが、おおよそそのまま歌のことばとなっていたのである。
あ、そうなんだ、と思って。
わたしが無知なだけなのかもしれないんですけど、和歌とか読むときに、貫之がじっさいに普段「にけり」とか発語しているという想定を、あまりしていなかったんですよね。
紀貫之がそんなガチガチの口語野郎だとは思っていなかったというか。
詩歌というのはなんだかんだ日常生活の一段上にあるもので、普段はもうちょっと俗語っぽいものをがちゃがちゃ話してるような先入観を持っていたんですけど。
和歌の言葉っていうのは、わりと当時の口語と近いものだったんですね。
しかし時代は下って、現代の短歌の文語というのは↓
日常生活のなかの言語体系とは異質なものだといえる。そして(現代の短歌の)文語は、古い時代の言語体系にもとづいて表現しようとしたものであり、その古い時代とは、貫之が生きていた平安時代ころを指す。(略)
そのように文語を捉えると、文語には二つの種類があることになる。一つは、貫之の生きていた時代すなわち平安時代の言語体系を意味する文語であり、もう一つは、その言語体系を志向した言語を意味する文語である。二種とも文語と呼んでいたのでは、どうもややこしい。前者の文語と区別して後者を文語体と呼んでもいいが、さしあたり、後者をヤマカッコ付きの<文語>とし、前者を単に文語として、以下を述べていきたい。
<文語>が成立したのは、日常生活のなかの言語がどんどん変化して文語の体系が崩れていくにもかかわらず、和歌を詠んだり文章を書くときには、古い時代の言語体系にのっとっていこうとしたためである。<文語>は、本来、文語に一致しているのが理想であった。しかし、文語と日常語との差が大きくなればなるほど、文語と一致した<文語>を書くのは困難になる。文語と日常語との差が大きくなれば、文語についての正しい知識を得るのが難しいうえ、文語を使っているつもりでも、日常語が折々に顔を出して似て非なることばになりがちである。(略)現代短歌の<文語>が、文語とかなり違っているのは、しばしば指摘されるとおりである。
これが、この本のとりあえずの前提です。
それで、具体例を引用しながら、現代の短歌の文語のあり方を見て行きます。
たとえば、「べし」に関して。
こぎいでぬと人に告ぐべきたよりだに八十島とほきあまの釣舟 藤原家隆
歌意は置いておいて、「告ぐべき」のとこを見てください。
これは、動詞「告ぐ」の終止形+助動詞「べし」の連体形です。(「たより」につながるから連体形です)
助動詞「べし」は、このように「告ぐべき」とか、「越ゆべし」とか、活用語の終止形に接続するのが本来の形になります。(ラ変型の活用をする語には連体形に接続する)
なのですが、
現代短歌では、(略)活用語の連体形に「べし」を続けた例が非常に多い。
雫のごとき銀杏もみじの中の窓 許さん許してなお飢うるべく 永田和宏
遠からず蝶形花冠むらさきに反りひらくごと春はくるべし 小中英之
赤き樹液いきづき垂らすふるさとの大楓(おほかへるで)のおもはるるべし 小池光
「飢うる」「くる」「おもはるる」はいずれも連体形であり、本来の文語文法ならば、
終止形に接続して、「飢うべく」「くべし」「おもはるべし」となるはずのものです。
だからわりとまあ、ストレートに間違ってるわけなんですけど、
「現代短歌の用法として、すでに定着しているごとき観がある。」くらい、
よく使われている形です。
なんでこんなことになるのか、安田さんによると、たぶん口語、というか日常的に
使っている現代語に影響を受けているのではないかと。
要するに、「飢うる」の裏側には口語の「飢える」があって、「おもはるる」の裏側には口語の「思われる」がある。「くる」に到っては文語動詞「く」じゃなくて、ほぼそのまま口語の「くる」なんじゃないかと。
このような例が、この本にはたくさん紹介されています。
次は「かたみに」をやりましょう。
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末(すゑ)の松山なみ越さじとは 清原元輔
百人一首の歌ですね。「かたみに」は「互いに」にの意味の副詞、
「かたみに袖をしぼりつつ」で「びっしょりと涙に濡れた袖を、お互いに何度もしぼりながら」という意味になります。
でも、「かたみに」は現代でも使われている「たがいに」の古い形というわけでは
ないそうです。
「たがひに」は実は古代から存在し、主に漢文訓読調の文章で使われていたという住み分けがありました。
けれどここで、「たがひに」と「かたみに」の意味が近いからといって、「たがひ」=「かたみ」じゃなかったんですね。
「たがひ」は、現代でも「互いの意見」とか「お互いが注意する」とか言うのと
同じように、本来は名詞だった。
しかし「かたみ」はそうではなかった。「かたみに」があるだけで、「かたみ」だけ
取り出して「かたみの」「かたみを」「かたみが」という表現を作ることはできなかったみたいです。
降り出づるけはひ言ひつつ別れ来ぬ互(かたみ)の傘を確かめあひて 大西民子
外に出ず互(かた)みを友として遊ぶ二人子(ふたりご)をわが危ぶみ目守る 高野公彦
しかし、現代の短歌ではこのように「互の」「互みを」と作っている。
これも誤用になります。パターンはさっきと同じ、
「かたみ」の背後に口語の「たがい」が隠れていて、表現の際にそっちの使い方が
出てきちゃったということになるかと思います。
ほかに「かたみなる」という元来はなかった表現が使われていることを受けて安田さん
はこう言います。
「かたみに」は、現代の日常語ではない。そのためかえって、作者のこころのなかで現代語からの類推が働きかけ、さまざまなかたちに変容していくのである。
ちなみに、一応引用しておきますが、
(略)現代短歌の<文語>が、どのように文語と相違しているかを知るのも、実作者として決して無駄なことではあるまい。本書をまとめた目的も、そこにある。文語文法(これは、平安時代の言語体系を基本にして、奈良時代以前の要素を加味したものである)を剣となし、現代短歌の<文語>を切り捨てることを意図しているのではなく、そもそもそんな蛮勇を、私は持ち合わせていない。そのあたりを誤解しないでいただきたい。
とのことです。
ともかく、
短歌の文語体について考えるにはとても有益な本だと思います。
特に、文語体が現代語・口語からの影響を奥深く受けているものなんだなというのは、
この本を読んでいてたびたび思わされます。現代的な名詞が文語体に詠み込まれたりというのはよくあることですが、それ以上に深いものがある。
個人的には、
どうして近代以降の短歌だと、それほど文語とか勉強していない自分でもけっこう読めて、和歌だととたんに読めなくなるのか、ずっと不思議だったんですけど、その理由がちょっとわかった気がしました。
それについては、近代に「近代的自我」が生れて、短歌が我の歌になっただとか、和歌を支えていた文化的共同体が失われたとか、そういう説明がよくなされていて、わたしはそのどれにもなんとなく納得してなかったんですけど、
この本を読んで、すごく単純に言葉が違うからなのかなと思いました。
文語と<文語>って、やっぱりかなり違うもので、
<文語>のほうは、つまり近代以降の文語は、実は相当「口語」なんだなと思って。
つまり、「飢うる」はかなり「飢える」であり、「かたみに」はかなり「たがいに」なのであって、だから読めるのかな、と、ちょっとそんなことを考えました。