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短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第23回 高島裕『廃墟からの祈り』

土岐 評論

光を待つ 土岐友浩

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廃墟からの祈り

 

2007年12月、京都で「いま、社会詠は」というシンポジウムが開催された。

小高賢が結社誌「かりん」の誌上で、イラク戦争などを背景として、現代における社会詠の難しさを論じ、青磁社の時評を担当していた大辻隆弘、吉川宏志の両氏がそれに反論をした。ウェブ上の論争が発展したのがこのシンポジウムで、詳しい内容は同題の本にまとめられているのだが、当事者の熱気がよく伝わってくる。

 

この会場で、レポーターの一人として高島裕は、次のような発言をした。

目に見える政治だとか社会的行動だとか、そういうものだけが、社会の実質、人間が生きていることの実質ではないと思います。文化の厚みだとか、人々の精神だとか、モラリティーだとか、そういった目に見えないものの広がりが国をつくっていると思うし、人が生きていることの実質だと思います。だから派手派手しい政治的な事象だとか、社会的な事象だとかに、いちいち目を取られすぎることはないと考えます。
(中略)
ここ数年起きているような危機的な事態は、いま初めて日本に訪れたわけではなくて、千年以上前に例えば大伴家持が生きていた時代も、たぶん似たような状態だったのではないかと思います。
(中略)
家持の周囲にいた人々、佐伯とか大伴の人々が橘奈良麻呂を中心として藤原仲麻呂を排除しようと、決起を計画して事前に漏れて全部つかまって、殺されたという事件がありました。「橘奈良麻呂の乱」と言いますけれども、橘奈良麻呂たちが実際に政治的行動を起こしたことと、それには参加しなかった大伴家持が、その後、私たちに『万葉集』という遺産を残し、『古今集』以降の部立ての意識とか四季の意識だとかの基礎を作った、そういう、文学に対してなした仕事というものを比較して見た場合に、どちらが千年後の私たちから見て輝いているでしょうか。そういうところを考えた場合に、詩歌というものが歴史的に占めるべき位相というものは、よくわかるのではないかなと思っています。 

 

僕はシンポジウムには参加せず、書籍でこの発言を読んだのだが、当時、会場にいた300人の参加者たちは、どう受け取っただろうか。

現代の社会詠を論じ合う場で、大伴家持を持ち出し、政治や社会にとらわれることはないと、おそれげなく語る。

その迫力というか、肝の太さ。

 

「社会詠について考えよう」という熱気に包まれた会場の中で、高島が一人、異質な空気を放っていたことは、想像に難くない。
それは、語源どおりの意味での「アパシー」、すなわちパトスの否定である。

 *

『廃墟からの祈り』は、2010年に北冬舎から刊行。個人誌「文机」などに発表された文章をまとめたもので、高島自身の言葉を使えば「散文集」である。

高島の青年時代を回想した「わが過ち」「高円寺の思ひ出」などの随筆も魅力的だが、ここでは書名にもなった「廃墟からの祈り」という文章を中心に、本書を読んでいこう。

 

高島は故郷の富山を「廃墟」として描く。

私が高校生の頃、休日にときどき友達と遊びに行つた富山の総曲輪通り、中央通りは、街路いつぱいに人が行き交つてゐたやうに記憶してゐるが、今は、日曜日に訪れても、まるでゴーストタウンのやうだ。県都ばかりではない。私の少年時代にはいきいきと賑はつてゐたふるさとの街々は、どこもみな人通りがまばらで活気を失ひ、一見してさびれてゐるのがわかる。そしてその原因も明らかだ。郊外の幹線道路沿ひに、各種大型店舗が次々と出店したからだ。(「廃墟からの祈り」) 

すべては、驚くほど便利になり、快適になつた。それは、政治経済のみならず、思想や文化においてもアメリカに追従し、限りない欲望を限りなく追求して、ひたすら機能主義的に生活環境を改造してきたことの、めざましい成果である。

だがその結果、わたしたちは歴史を失つた。固有の歴史に包まれて暮らす安心を失つた。古くからの商店街も、農村の共同体も失つて、そのかはりに、田んぼの真ん中に立つ巨大ショッピングセンターを得た。

田んぼの真ん中に立つ、巨大ショッピングセンター。これほど無残な景観が、ほかにあるだらうか。歴史の連続性を無造作に切断し、父祖たちが育んできた固有の風土を無頓着に蹂躙して、均質で無色透明な消費社会がふるさとを覆ひつくす。(同上)

 

郊外に建つショッピングセンターは、「機能主義」という言葉に集約されるようなアメリカ的な消費欲の象徴であり、言うまでもなく、伝統を捨てた日本人の荒廃した精神の象徴でもある。 

西洋人は、世界から神や精霊を放逐し、人間こそが世界の主人公であると宣言した。近代の始まりである。そして、神も精霊もゐなくなつた平明な世界を、人間の頭脳が生む科学技術によつて、人間の欲望のままに支配し、改造しうると考へたのである。彼らは躊躇なく、それを実行していつた。そしてその果てに、はるか極東のわが列島にまで、巨大な黒船を連ねて押し寄せた。そのとき、日本の文化を担った先人たちは、この未曾有の危機を受けて立たねばならなかつた。(同上)

焼き尽くされ、再建された街並もまだ新しいままに、賑はひを奪われた県都。この事態が、六十年前に街を焼いた、その同じ国の都合によるものであることを思ふとき、憤りに似た気持ちを抑へることができない。(同上)

 

高島にとって、西洋合理主義とは、歴史を否定し、風土を破壊する思想である。その到来によって、近代以降「ふるさと」は絶え間なく、徹底的に破壊されていった。

 

短歌もまた、その例外ではなかった。

 

「短歌のピーナツ」でも、たびたび正岡子規の短歌革新運動を取り上げてきたが、短歌の革新とは、見方を変えれば、西洋による「歴史の連続性の切断」に他ならなかった。

西洋合理主義をバックボーンに持つ「写生」とは、認識の枠組を解体するという意味で、そもそも破壊的な運動だったのだ。

 

そこで高島は、日本語の廃墟と化した現代短歌へ向けて、「伝統」を思い出そうと説く。

だとすれば、わたしたちはいま、近代日本の出発点において正岡子規が否定し去つた、古典和歌の美的概念性、その空虚な約束事の宇宙が、どんな必然のもとに生み出され、守られてきたのか、もう一度見直してみるべきではないか。それによつて、近代の散文化した世界の中で忘れ去られた伝統を、未来への可能性として立ち上げ直すべきではないか。(「かなしみの伽藍」) 

短歌定型の力は、民族の歴史的連続性によつて支へられてゐる。だから、短歌定型によつて救済されることの意味は、民族の歴史的連続性に抱き取られることによつて、その安らぎとなつかしさのなかで、日本人としての自分を感じ、日本人としての輪郭を獲得することなのだ。(「廃墟からの祈り」)

 

「抱き取られる」とか「安らぎとなつかしさ」というような言葉で、あまりにも屈託なく語られる、「民族」や「日本」。

高島自身は、この言葉こそ使ってはいないが、「愛国心パトリオティズム)」への回帰を呼びかけていると言っていいだろう。

 

短歌とは、失われた日本の伝統を思い出すよすがであり、現代に短歌が存在する理由も、それ以外にない。

 

しかし、高島の言う「伝統」や「日本人」とは、いかなるものなのか。

 

その疑問に対する答えは、用意されていない。

それに代えて高島は、伝統に触れたときの「ふはりと包み込まれるやうな安心感に満たされる」という、「ふはり」とした感覚だけを繰り返し述べている。

 

おそらく高島にとっての「伝統」は、ロゴスによって指し示し、たどり着けるようなものではない。

 

本書に収録されている「真言(まこと)の輝き」「日本語の山河」の二編の文章は、テーマは異なるものの、高島の言語観がよく表れている。

それぞれの要旨をごく簡単に言えば、ディベートの否定であり、翻訳の否定である。高島は、言葉を論争の道具として用いる言語感覚や、短歌は翻訳によって普遍的に親しまれるものだという詩歌観を否定する。

詩歌に携はるといふことは、言葉をこのやうには扱はないといふことだ。言葉を、「思ひ」の発露としての、真言の輝きのままにとどめおくといふことだ。言霊を信頼し、論(あげつら)ひを捨てるといふことだ。(「真言の輝き」 )

私が短歌に携つてゐるのは、国際化に背を向けたいからであり、外国人に理解されたくないからである。歌詠みとしての私はいつも、日本人だけが理解できる何かを確かめたいといふ思ひのなかにゐる。(「日本語の山河」)

 

「日本人だけが理解できる何かを確かめたい」という高島の言葉をナショナリズムの表明と理解するのは、適切ではない。

高島が安らぎの感覚とともに唱える「愛国心」は、たしかに復古主義と言っても間違いではないのだが、ここで重要なのは、言葉が、意味や情報を伝えるものとして捉えられてはいないということだ。

 

危機の時代の熱狂などというものからは対極の地平に、高島は立っている。

理解してくれない人に自分の「思ひ」を伝へようとして、人はすぐに、論理的な説明の言葉を組織する。だが、言葉の力とは、もつと広大なものである。説明することなく、ましてや相手を攻撃することなく、ただ、すなほな「思ひ」のままに溢れ出す言葉は、必ずや、心ある人の胸に届くのである。すぐには届かなくとも、いつかは届くのである。人に届かなくとも、天に届くのである。(「真言の輝き」)

 

対話や議論によって生産的な何かが生まれるという弁証法的な価値観は、詩歌にとって、まったく無縁なものなのだ。

最初にこの本は「散文集」だと説明したが、高島がこれを「評論集」と言わなかった理由は、とてもよくわかる。上の引用から明らかなように、高島は「論」というもの、それ自体を否定しているからだ。 

わたしたちは、伝統から隔てられ、陰翳を失つたフラットな世界を、日々生きてゐる。だが、わたしたちには短歌がある。古典の知識や古文の読解力が心許なくても、短歌定型は、遠い過去からの無量の光を、わたしたちに届けてくれる。今を生きるわたしたちのいのちは、過去からの光に照らし出されることで、くつきりとした輪郭を獲得する。(「過去からの光」 )

 

高島にとって過去とは、廃墟を照らす「光」である。

古典の知識や古文の読解力が心許なくても構わないというのは、先ほど見た、議論や翻訳の否定と同じことだ。

 

意味などはじめから成り立たず、従って意味の伝達も、それによる理解も成立しようがない。

 

すなわち、高島の考える「伝統」は、何の内容も持たない。

 

だが、なにひとつ中身を持たないからこそ、同時にそれは、かぎりなく純粋でありうるのだ。

 

その存在は、まさに「光」のようなものだとしか、呼びようがない。 

 

「廃墟からの祈り」の最後で、大伴家持の〈新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)〉という歌を引きながら、高島はこう述べる。

わたしたちを導く、目に見えぬ大きな力とは、子々孫々末永く幸あれといふ、父祖たちの願ひであり、祈りであつた。親から子へと、果てしなく続く愛の連鎖は、大いなる〈願ひ〉の力となつて、わたしたちを生かし、導いてゐるのだ。詩歌は、この大いなる〈願ひ〉を、民族の歴史的連続性としてかたちづくるのである。詩歌は民族の魂であり、いのちである。この大いなるいのちが、日本語の韻きを通じて、わたしたち日本人ひとりびとりに生気を吹き込むのだ。

 

僕たちは、言葉によって発信したり、伝達したりするのではなく、ただ過去からの光が届くのを信じ、待ち望むことしかできない。

 

その空虚こそが豊穣なのだという逆説が、静かに横たわっている。

 *

「光」つながりで、最後に与太話をひとつ。

本書は評論集ではないと言いつつ、評論らしい評論も一編収められている。

「小池光における〈日常〉」というのがそれだ。

 

初出は角川「短歌」。

いわゆる「日常詠」をめぐって、高島は「日常」という概念が近代社会の成立とともに誕生したことを明らかにしながら、小池光の一見ベタな「日常詠」にひそむ批評性を、丹念に読み解いている。

とても優れた小池光論なので、ぜひお読みいただきたいのだが、それはそれとして、

 強靭な批評性を保ち続けるこの歌人が、現在的〈日常〉の空虚をくぐつて、やがてゆつたりと、伝統の陰影を身に帯びてゆく道行きは、いま、わたしたちがこのやうに生き、歌つてゐることの精神史的必然を、くつきりと照らし出してくれるのだ。

 

「くつきりと照らし出してくれる」と、ここではまるで小池光が「光」そのものになってしまったかのように書かれている。

これを読んでから、小池光が仏像か特撮変身ヒーローか何かのようにピカピカ光っているイメージが、頭の中から離れなくて僕はとても困っている。