短歌のピーナツ

堂園昌彦・永井祐・土岐友浩が歌書を読みます。

第36回 楠見朋彦『塚本邦雄の青春』

 映画「この世界の片隅に」と呉時代の塚本邦雄 堂園昌彦

 

塚本邦雄の青春 (ウェッジ文庫)

塚本邦雄の青春 (ウェッジ文庫)

 

 こんにちは。堂園です。

 

今回やるのは、2009年にウェッジ文庫からでた楠見朋彦著『塚本邦雄の青春』です。

 

この本は、塚本邦雄の弟子で小説家の楠見朋彦さんが、いままでヴェールに包まれていた塚本邦雄の青年期に迫る、という本です。本人があまり話をしていない、幼年期・青年期・習作期。第一歌集『水葬物語』が刊行される以前の塚本邦雄です。

 

資料となっているのは主に塚本が発表した初期作品や散文などで、日記とか書簡とかは使われていません。だから、一般的な評伝とはちょっと違っています。塚本の若い時代の行動をいっこいっこクリアにする、というよりも、もうちょっと遠くから、塚本自身が作った柵の間から塚本の青年期を覗き見る、みたいな本で、ふつうの評伝を期待するとちょっと肩すかしを食らいます。

 

しかし、塚本邦雄は自身の若い時代をあまり明かすことはありませんでした。この本でも触れられていますが、その象徴となるのが、生年月日を実際の年齢よりも2年若く偽っていたことです。かつて実人生を否定していた塚本邦雄の、青年時代を覗き見ることができるのは、なかなかすごいことなのです。

 

もともとは「京都新聞」(滋賀版)に連載されていた記事を改稿したものらしく、新聞のコラムっぽくわりと1回1回短いものが、ぶつぶつ話切れながら進んでいきます。しかも、ちょくちょく時代が前後するので、独特の読みにくさがあったりします。

 

しかし、特に後半のほうの、どのように『水葬物語』の作風の塚本邦雄が出来ていくのか、といった話はすごく面白かったです。塚本が、西脇順三郎や、モダニズム短歌や、新旧約聖書や、西洋絵画などを次々に吸収し、そして杉原一司という盟友を得ながら、自らの文体を形作っていったことがよくわかります。若い塚本青年が、だんだんと「塚本邦雄」になっていく様が燃えるのです。それだけでも、この本を読む価値があります。

 

ところで皆さん、全然話変わりますけど、11月12日に全国公開が始まったアニメ映画、「この世界の片隅に」はご覧になったでしょうか!?

 

観てない方はぜひ観に行ってください。もうほんとぜひ! 私は公開日に観て、さっき2回目を観たんですけど、ものすごく良かったです。

 

この映画の原作は、こうの史代が2007年~2009年に連載していた漫画『この世界の片隅に』です。どういう映画かというと、第二次世界大戦中の広島が舞台で、絵が好きな主人公の女性「すず」さんが18歳の時に故郷の広島から山一つ隔てた、軍港・呉へと嫁いでいき、その日常、といった感じの話です。主な時代は昭和19・20年くらい。

 

すずさんは大正14年生まれなので、山中智恵子と同い年です。今生きていたら91歳ですね。

 

この時期の広島・呉ということは、戦争映画なんですけど、ふつうの戦争映画とちょっと違うのは、戦時中の暮らし・日常をすごく丁寧に描いています。もちろん、つらいこともあるんですけど、それ以上にユーモアをもって描写している。笑えるシーンがふんだんにあって、「戦争ひどいよね」っていうお説教映画ではぜんぜんないです。

 

とにかく風景がきれいで。呉の軍港を見下ろす景色とか……。この世は生きるに値することを全力で伝えてくるというか。私はもう開始5秒で涙が出まくりでした。

 

主演の「のん」(能年玲奈)の声の演技がまたすごくて。彼女の出世作NHK朝ドラの「あまちゃん」でも、主役の天野アキ役は「本人そのもの」というハマリ役でしたが、今回も、めちゃくちゃハマリ役です。本人としか思えません。「困ったねえ」の言い方とか。

 

あと、この映画、すごく没入感があって、観ていて飽きません。映画評論家の町山智浩さんは、この映画は「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』みたいにパッパッパと展開が進んでいく、ものすごくテンポのいい映画」と評していましたが、そのあたりも、この映画の没入感に関係があるかもしれません。

 

また、私はこうの史代の原作漫画のファンでもあったのですが、原作以上によかったところも多かったです。

 

たとえば、主人公のすずさんが丘から呉の湾内の風景を写生しているところを憲兵に咎められるシーンがあります。

 

漫画と違うのは、憲兵の声が入っていることで、これがけっこう耳に障る。人を脅す声なんですね。

 

それで、原作ではちょっとギャグっぽく終わらせていたシーンが、なんていうか、やっぱり実際もっとシリアスだったんだなと気づきました。この映画の音の表現はものすごいです。防空壕で爆撃を聞くシーンとか。呉港に対する空襲は、軍艦壊すためにやってますから、建物燃やす焼夷弾だけじゃなくて、一トン級の爆弾を落としてくるんですよね。だから、音もものすごい。そういうところが、すごく伝わりました。

 

わりとこの作品、原作でもシリアスっぽくふっといて、ギャグっぽくすかすんですよね。あんまりネタバレしたくないんですが、ある人が突然倒れて心配したら、実は眠くて居眠りしちゃっただけ、とか。

 

シリアスをどう回避するか=いかに日常を続けていくか、ということがギャグ漫画の文法と重なってるという構造なんですが、これが映画になり、音や演出が加わると、やはりその背後に、常に重たいものが張り付いていることが、はっきりわかります。それゆえ、日常や自然の美しさがより際立って伝わってくるのです。

 

そんな感じのものすごいリアリティのあるアニメなんですが、驚愕するのが、次のツイートの内容です。

 

 

 

 

これ、やばくないですか。このアニメは、単に当時の広島・呉の街並みを資料や写真から再現するだけじゃなくて、当時の人々にインタビューして、写真に写っている人々まで特定しています。なので、この映画に出てくる人々は、単なるモブではありません。全員が実在して生きている人間で、それぞれの人生を送っているのです。

 

ジェイムズ・ジョイスは自作の小説『ダブリナーズ』について「たとえダブリンが大災害で壊滅しても、この本をモデルにすればレンガの一個一個に至るまで再現できるだろう」と豪語していましたが、はっきり言って、そのレベルを超えてます。

 

で、なんで今回この映画の話をしたかというと、実は戦時中の呉には、当時、20代の塚本邦雄が暮らしていたはずなんですよね。

 

なので、そう!! この映画には塚本邦雄が映っている可能性があります!!!!

 

塚本さん、年齢でいうとすずさんの夫の周作さんの1つ上で、21歳から25歳まで呉市にあった広海軍工廠(ひろかいぐんこうしょう)に徴用されていました。塚本が暮らしていた広町と呉町はお隣。今でいうと、電車で2,3駅です。なので、休みの日とかはしょっちゅう行ってたみたいです。充分、映っている可能性があります。

 

そんなわけで、今回は『塚本邦雄の青春』から、「この世界の片隅に」で塚本邦雄が映っている可能性のあるシーンを探してみました。

 

一番可能性が高いのは、中盤ですずが夫の周作さんの職場に帳面を届け、その後デートをする呉の繁華街でしょう。周作さんが「映画でも観るか」と言って2人は繁華街を歩くのですが、塚本邦雄はよく呉の繁華街まで映画を観るために通っていました。

 

 呉市広町では、どんな生活をしていたか。空襲が激化する前は、休日によく山一つ隔てた呉へ出て映画を見ていたようである。(p.68)

 

なので、このシーンの群衆の中に塚本邦雄が混ざっている可能性があります。 

 呉港館ではなぜか敵国であるフランスの映画、ジュリアン・デュヴィヴィエの『モンパルナスの夜』を見ることができた。邦雄は三度も観に通った。ドイツ系では『たそがれの維納』『未完成交響曲』のウィリ・フォルスト。「極論するなら私の青春前期など、フォルストの作品の記憶、ただそれのみによつてきらめくと言つてもよい。」(『虹彩(イリス)と蝸牛殻(コクレア) 映畫とシャンソン』)

(p.128)

 

アメリカ・イギリスとかの英語圏の映画は「敵性映画」と見なされていたのですが、同盟国であるイタリアとかドイツとかはオッケーだったみたいなんですね。フランスもほんとは敵国なんですが、どうもフランス語がイタリア語とかと区別できず、スルーされてたとか。

 

塚本は、レコードをかける店にもよく通っています。

 

 ラパンという酒場があった。フランス語で飼兎(かいうさぎ)を意味する。軍港であるのに、敵国の言葉をつかう度量のひろさがあった。

 借りたままの本がある。返す機会がついになかったという。トリオという音楽喫茶があった。珈琲一杯で、何時間もねばった。

 

「今でも、空襲直前の夜に聴いた、モーツァルトの交響楽四十番のモチーフを耳にすると涙が溢れます。」(「初心忘るべし」)(p.125)

 

塚本さんのレコード趣味は有名ですが、戦時中の厭な気分を、こういう場所で紛らわせていたんでしょうね。

 

 呉九丁目の音楽喫茶「鳥雄」で、「国民服」を着た邦雄は、ベートーベンやバッハ、ヴェルディプッチーニレスピーギをむさぼり聴いた。

 ラパンの創業は、一九三一年。パリはモンマルトルの老舗シャンソンカフェ、「ラパン・アジル(跳ね兎)を真似ていたのだろう。海軍将校らも集まっていた呉のラパンは、「我々にはオフ・リミットでした。楽しみは音楽を聴きに〈トリオ〉へ行くのと今一つは映画です。当時、呉港館という、洋画専門館がありました。」(p.127)

 

「ラパン」の創業は1931年(昭和6年)とありますから、周作の姉で、モガ(モダンガール)だった佳子さんは、若い頃、このあたりのお店に行っていたかもしれません。

 

ダンガール、モダンボーイのいた昭和初めのころは、日本はまだ街に軍国的な雰囲気は薄かったのですね。そっから10年くらいでいっきに雰囲気がきな臭くなります。

 

また、塚本邦雄は、ここ呉で貸本屋に通い詰めています。

 

 邦雄は呉の貸本屋「桃太郎図書館」で、よく本を借りていた。

 太宰治の『晩年』と、強烈な出会いがしばしば語られる萩原恭次郎の『死刑宣告』(第二十三回参照)の二冊は、空襲がひどくなったので返却がままならなかった。広町にも貸本・古書店があり、足しげく通った。

 広の小川書店経営者はたまたま『木槿』同人で、あるとき、邦雄が会に入ったということを聞くと、これからは無料で良いと言ってくれた。これ幸いと、邦雄は店にある本をすべて読破した。中山義秀「厚物咲き」、太宰治の「虚構の春」や「右大臣実朝」、中島敦「光と風と夢」……。それらを読んだときの感激は、何年経っても鮮やかに頭に浮かべられた。(以上、「初心忘るべし」)(p.71)

 

萩原恭次郎は初期塚本に強い影響を与えました。また、塚本は太宰治もそうとう好きだったみたいです。初期塚本を作っていった本は、ここ呉で読まれたということです。

 

もっと言えば、塚本さんが短歌を作り始めたのも、呉においてです。

 

「当時、私、たしか広海軍工廠の方へ配属されていました。学徒仲間もたくさんいまして、中の一人が実は私にはじめて萩原朔太郎を教えてくれた男なんです。(略)」

 ――その友人と文学談をかわしていると、短歌をやってみる気はないかと誘われた。すすめられた二誌のうち、万葉調の、勤皇の志士のような歌がずらりと並ぶ『石楠』を避けて、『木槿』を選び、歌を出した。それが「初心」であるという。(p.129)

 

それで塚本さんは、繁華街の古書店で、結社誌のバックナンバーを探し求めます。

 

本通りの古書店で、『心の花』『水甕』『潮音』『靑樫』といった短歌雑誌のバックナンバーを入手した。(p.129)

 

本通りというと、現在の地図ではここですね。

 

 

ちなみに、さっき触れたすずさんと周作さんの繁華街デートで、2人が川を見ている橋(小春橋)があるんですが、

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 (こうの史代この世界の片隅に』中巻 p.33)

 

 

映画にも出てくるこの橋は、

 

 

 

ここです。 

 

 あるいは、これも中盤ですずさんが闇市に行くシーンがあるのですが、ここの群衆の中に塚本がいる可能性もないわけではありません。

 

 

また、塚本は広海軍工廠に昭和16年(1941年)から勤めています。そして、そのお隣の「第11航空廠」に、すずの嫁ぎ先のお義父さんの円太郎が勤めているのです。当時の海軍工廠の組織図は下の通り。

 

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こうの史代この世界の片隅に』下巻 p.12)

 

円太郎さんは、「第11航空廠」の発動機部。塚本さんは「広工廠」の会計部だったそうです。この下のコマ見ると、ほんとにお隣ですね。

 

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 (『この世界の片隅に』下巻 p.15)

 

だから、ふつうに円太郎と塚本が話をしていた可能性もありますし、後半、「第11航空廠」と「広工廠」への爆撃で円太郎が負傷し、そのお見舞いにすずさんが病院に行くシーンで、塚本が病院内にいる可能性もあります。友人のお見舞いとかで。そういえば、この病室では負傷した海軍兵が、塚本の好きな「敵性音楽」のレコードをかけていました。

 

まあ、この頃の呉には、ピーク時には全国から10万人近い工員が集められたと言いますから、それだけ多けりゃそうそう知り合いにはなっていないかもしれませんが。

 

それと、他に可能性があるのは、原作にある花見のシーンです。

 

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(『この世界の片隅に』中巻 p.131)

 

これは呉市・二河公園(にこうこうえん)ですが、塚本もここを訪れたことがあるようです。

 

『底流』十七巻夏号(昭和五十九年七月)に、邦雄の約四十年ぶりの呉再訪時の様子を報告した、「塚本邦雄先生に従いて歩きの呉」という吉富英夫(『木槿』同人)の随筆がある。

(中略)

 一行はまず、邦雄の希望で、二河公園を訪ねた。(p.71,72)

 

実はこのシーンは、映画にはないのですが、外国向けトレーラーの1分34秒のところにちらっと花見のシーンが出て来るので、シーンとしては作られていて、本編ではカットされたのでしょう。そのどこかに塚本が映っていたかもしれません。


In This Corner of the World full film trailer

 

 

そして後半の空襲のシーン。ああ、塚本邦雄はこの爆撃の中にいたんだ、と思いながら私は観ていました。

 

 敵機を撃ち落とすための高射砲が、耳をつんざく音で発射される。

 B29が超低空飛行で空に出現し、爆撃を開始。

 艦載機も来襲し、機銃掃射は婦女子であろうと動く者であればことごとく薙ぎ倒した。低空飛行のため、搭乗員の米兵の顔が見えたとは、戦争体験者がよく語る話である。一トン爆弾の爆風波、学生服のボタンをひきちぎった。

 爆撃は続く。

 六月二十二日には、工廠の造兵器地区は潰滅した。(p.121)

 

昭和20年6月22日に工廠は爆撃を受け、潰滅します。映画中で起きるとあるショッキングなシーンは、この日の出来事です。

 

 迫り來て機影玻璃戸をよぎるとき刺し違へ死なむ怒りあるなり

 

 右は、戦中に発表した最後の一連三首から(六月号、幸野羊三によるガリ版。発行自体が奇跡的であった)。絨毯爆撃に加えて、艦載機による機銃掃射で多くの一般市民が命を失った。

 

「昭和二十年八月、連日、焼夷弾が天から降つてゐた。」(『詩歌博物誌 其之弐』)

 

 空襲でガラスがびりびり響くとき、殺意が湧く。そのゆがんだガラスにうつった怒りの形相は、きっと、醜かった。(p.119)

 

「刺し違へ死なむ怒りあるなり」。空襲の最中、絵を描く人であるすずさんが「ああ、ここに絵具があれば」というシーンがあるのですが(この映画は戦争と表現の映画でもあります)、月並みな言い方ですが、塚本には言葉があったのですね。

 

しかし、「昭和二十年八月、連日、焼夷弾が天から降つてゐた。」。この焼夷弾がどういう焼夷弾かも、映画を見るとよくわかります。

 

また、塚本邦雄が昭和18年5月に工廠の避難訓練の際に作った次の歌、

 

ガスマスクしかと握りて伏しにけり壕内の湿り身に迫りくる  『初学歴然』

 

も、「壕内」が映画を見るとよく伝わります。

 

あとは、やはり、広島に原爆が投下されるシーン。

 

 呉での講演に、恐ろしい一節がある。

 

「私は実は呉から、広島の原爆の雲もまざまざと見た記憶をもっています。」(p.120)

 

あの日、呉の人々がみな見上げたであろうあの恐ろしい雲を、塚本邦雄も見ていました。

 

塚本邦雄は敗戦後、一週間で呉を後にします。後年、そのときを思い出して作ったのが、次のような歌です。

 

われが不在となりたる街に軋みつつ鹽積みて入りゆきし荷車  『装飾樂句(カデンツア)』

 

私はこの映画を、特に2回目に行ったとき、ずっと塚本邦雄の気配を感じながら観ていました。ああ、塚本さんはこんな風景を見ながら暮していたのか、と。そして、ラストシーン付近になると、ああ、もうここには塚本さんはいないんだなあと不思議な寂しさを感じたのです。

 

(メモ的に書いておきますが、塚本邦雄が呉にいたのは、昭和16年8月~昭和20年8月23日です。さっきも書きましたが、21歳から25歳まで。映画でいうと、序盤中頃~ラスト手前です。)

 

「呉というところは私にとって大変懐かしい、文学の故郷です。」(p.128)

 

塚本邦雄がこの映画に映っているというのは、まあ実際は大げさではあると思うのですが、でもやっぱり可能性は捨てきれません。そして、主人公のすずさんの住む家は、呉市を見下ろす山の麓の、高い所にあるのですが、そこからすずさんは何度も何度も街を眺めます。そのどこかには、塚本邦雄が、必ずいたはずなのです。実際に画面に映ってはいなくとも、この映画の時空間のどこかに塚本が存在し、主人公のすずさんと同じ空気を吸い、同じようにご飯を食べ、同じように眠り、同じように空襲に怯えていたはずなのです。

 

そして、私たちの知っている塚本さんがこの映画に出ているということは、この映画の日常は、やはり私たちの日常とつながっているということです。

 

呉の音や景色や光が本当にリアルに感じられますし、もっと言えば匂いや風や物の手触りまで感じることができます。塚本さんが青年期にどういった空気を吸っていたかを知るには、この映画以上のものはないのではないか、と思いました。

 

なんというか、この映画を見たときに、いままで感じられなかった塚本さんとの圧倒的な「近さ」を感じたんですね。

 

この世界の片隅に」を見ると、塚本邦雄理解が深まるでしょう。ぜひ、公開中に劇場へ!!

 

※引用中の塚本邦雄の歌・文章は表記上、一部旧字を新字にしています。